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バカが変える日本と地方 (1)

「よそもの」・「わかもの」・「ばかもの」。

よく聞くフレーズ。

組織や地域を変える活力としてのこの三つの要素。
論文でもよく使われる。もちろん私の論文にも使わせてもらった。
語呂が良いからか、イメージしやすいからか、使いやすい。
そしてもっともらしい。

と言うことは
「身内」と「年配者」と「利口者」は組織も地域も変えられないのだろうか?

昔から東大法学部出身の官僚を頂点とする利口者集団による計画と予算組み、地域の歴史文化を土台とした意識や価値観の共有による地域方針醸成、長老たちの知恵や経験を尊敬した地域マネジメントが活きてきたのではないか?

それを今更否定するとはどういうことなのか?

答えはみんな感覚で知っている。
我々は「空気」や「雰囲気」「歴史」や「対話」を大事にしすぎた。

「言ってることは正しいのはわかってる」けど

「理屈はそうなんだろう」けど

「あの人は○○大学出てる」けど

長いものに巻かれる積極性さえもない傍観者意識。

私の親族には警察官、教師、行政職員がいる。
すると、地域の不満や不平を声高に話すことは嫌がられる。

「わかるんだけどさ・・・」とか
「そんなこと言ったら話が先に進まないから」とか
「キレイゴトだから」とか

それはそれは否定される。私もそんなもんかと思っていた。

「市議会選挙や市長選挙に出ようかな」、なんて言ったら親戚一同から怒られる。親は泣いて反対する。友人は微妙な距離感を保ち、「町の変わり者」扱いされていく。

地域に関わる志を持つことはタブーだ。
その結果が広島県安芸高田市のYouTubeで詳らかにされた地域の惨状。
安芸高田市だけの話ではない。
私の町やあなたの村、ほとんどの日本の地方で見られる風景。

今更こんな日本的文化価値観を説明するまでもない。評論家でいいのか?

だが、結果として今の地域は活性化したのか?活性化まではいかなくてもうまく循環しているか?答えはみんなが感じてる。この流れは私なんかでは変えられない。

変えられないから自分ではない「よそもの・わかもの・ばかもの」に期待してしまう。したり顔で「この地域を再生させるにはよそもの・わかもの・ばかもののパワーを今こそ活用するのだ!」とか商工会の会議で元気よく挙手して発言する。
それを聴きながら出席者が皆ウンウンと頷く。

「で、どうやって?」
その話は去年もあったよな。なんならここ数年でいつも出てないか?そのワード。何かのセミナーで覚えたから使いたいだけかよ。

若者は年寄りの言葉を聞かないわけではない。
「ちゃんと現役」の人の発言だから聞くのです。これは「老害」ではありません。
我らの「現役」とはプレイヤーの意味よりも「責任者」のこと。

マネジメントの基本に「権限・責任の一致」と言うものがある。

ヨソモノワカモノバカモノとして召集された人たちは、自分たちを呼び寄せた地域の大人をどのような目で見てると思うのか?
地域おこし協力隊で移住してきた人たちを、安い人件費として考えたり、若い女性には性欲丸出しで近づく(だけでなく抱きつく)爺さんや税金泥棒と糾弾したり、生活リズムが違うから無視したり。

そんなことをまた書いてみます。私はバカモノにはなれるから。




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