高校の同級生との再会でめっちゃ人見知りした

7年前に本を借りて以来会っていない友人(仮にAとする)から
ライブの誘いがあった。
ライブはライブでも一緒に曲を聴くとかでなくその友人が歌う側だ。

私は純粋になにか新鮮な経験をして心を浄化したい!という思いと、
ついでにその借りっぱなしの本を…返してしまいたい…!という気持ちがあったので、予定を合わせ行くことにした。
同じくその日予定が空いている別の友人(Bとする)も一緒だ。

久しぶりに会った友人Aは、めっちゃ服も髪もオシャンで綺麗な大人になっていて、すてきや~~!と大変テンションが上がった。
それでも声やなんとなく雰囲気は変わっていないところもあって、
不思議な感慨があった。

その日は友人Aだけじゃなく他のアーティストの方々も出演していて、
代わる代わる色んな世界観の音楽が聞けて楽しかった。

さて友人Aと喋れるぜ!本を返すんだぜ!お礼のお菓子も持ってきたんだぜ!という段になり、ここで問題が発生する。
私の脳が、喉が、完全にひとの音楽聴くモードにはいってしまっていた。
端的に申してめっちゃ話す感じのテンションじゃなくなってしまっていた。
なんでだ、しゃべりたい。

私は端の席にいて、隣にいつもおる友人Bを挟み、7年ぶり再会した友人Aが来た。

いつもおる友人Bはもちろんめーちゃ喋る。
私は場の空気と、生来の声小ささと、オドオド感で全然喋れず、
喋れそうな会話の隙間があっても、ああ、いま喋れる。でもなんも思いつかねえ。まあいいや。沈黙を浴びなさい。という酷いマインドになっていた。

友人Aとは高校3年間一緒に楽しいこともつらいことも経験した。
どちらかが泣いているのを慰め合ったり話を聞いたりした。2人揃って泣いている時もあった気がする。
席やクラスも何かと近かったので、しょ〜〜じき友人Bより関係値は濃いのではという気がしている。贔屓目じゃなく客観的に見ようとしてもそう感じる。あるよねそういうこと。

高校卒業後、私の課題を助けるために本を貸しに大学までわざわざきてくれて、夜の図書館で時間を忘れて現在やこれからの話をした。
それなりに深い関係を築いた(と私は思ってるよ!)友達ですら、
私の人見知りパワーにかかれば
友情ゲージって0に戻っちゃうんですねと自分で自分にショックだった。

友人Aからも(来たくなかったのかな…)みたいに思われていそうで、申し訳なさそうな空気を感じたのでつらい。本当にそうじゃない。己の意思で来たんや。借りてた本はあるけども………

後日、一緒にその場に行った友人Bに会った時も、
「やっぱり人見知りしてた?だよね?私が喋りすぎてたからとかじゃないよね?でも、高校の同級生だよ?」とめっちゃ言われた。
おっしゃる通りだった。オッシャ・ル・ストリートだった。
おっしゃる街4番通りだった。

できることならまた会ってちゃんと話せる空気の場で話したい…いや、場所がどこであれ友人ならふつうに話せるのが通常の人間の在り方な気がする。

だいぶ前に嫌われる勇気読んだので、
「あなたは人見知りになりたくないのになってしまってるんじゃなく、無意識に人見知りになろうという選択をして望んでそうなっているのです」
という、えー…私って、そうなのお〜…みたいな思考がずっとぐるぐるしている。
人見知りとか社交性に欠けるのっていまから治せるもんなんですか?
さいきんこればかり考えている。
生きやすいかもしれないから、直せるものならなおしたい。
社交的な世界を経験してみたいものだ。と思うのだった…。
偽名ブロガー…社交性…おわり

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