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ダンス素人の見方⑦ 小暮香帆『Body Weather』

小暮香帆 作品『Body Weather』(ダンス専科2024 小暮香帆クラス)
出演:石井團、市橋杏子、大堂智子、城あすか、杉村心々虹、鈴木麻美、工田春、田中直美、寺尾茉理加、濱上香帆、翠月瞳、宮澤未佑、武藤杏実、渡邊愛蓮
2024年4月6日(土) 13:00の回 「神楽坂セッションハウス」

いやはや、いきなりここまでいいものを見られるとまでは思っておらず、驚異でした。今のコンテンポラリー・ダンスはこんな高度で複雑なことを、こんな風にさりげなく軽やかにやってしまうのか。しかも出ているのはまだ若い人ばっかり。ダンスの世界はここまで進んでいるんですね。

そのステージの詳細を言葉にしなくても、終演後に表へ出て、通行人の何気ないしぐさや動作の癖が面白く感じたり、今まで何となく美しいと感じられなかった花が美しかったり、急に叫びだして走りたくなったり、生きている喜びが急に胸の奥底から湧き上がってくる、という心身への影響を上げれば、そのすばらしさがわかるかと思います。この数日、自分の中にわだかまっていた邪念みたいなものがすっと抜けた。皆、こういうものを見ないといかんですよ。

その演出の方法として、去年10月に見た加藤理愛の『Clean Up Party』にも似た問題意識を感じるが、こちらはよりコンパクトで、シンプルにまとまっていた。どこかに中心を置いて同心円状に広げていくのではなく、モチーフを共有して各自が展開するというのでもない。あちこちで同時多発的に身体の、あるいは人間のドラマが進展していく。個人の内面や自己の身体との出会い、あるいは一対一の対話、そしてそれらが連鎖して数人によるミニ・イベントが派生したりもする。あちこちでいろんなことが同時に起こっており、観客はどこかに視点を絞って見ることができないため、全体を誰も掌握できない。どこの何を見るかは観客に託されているし、見た人の数だけ異なる作品となってしまう。

それでいてカオスにならず、どこか共通の「共時性」を感じさせるのは、それぞれの身体ないし自我の「解きほぐし」のメソッドが同じだからだろう。この解きほぐし方がすばらしく、こころとからだ、自分と他人、個人と集団、人間と現代社会などについての深い洞察に支えられているはずで、レッスンのプログラムとしても秀逸なのだろうと思わせる。また圧倒的な爆発力を秘めた田中直美という存在がいながら、それを他と並列に置いたところもすごいです。演出家の確かな見識だ。

このステージは訓練した技術を披露するというものではないし、振付家のイマージュをダンサーに押し付けるようなものではない。おそらくレッスンで即興性など自然発生的なプロセスを積み重ねたうえで、それを型にはめずに個々人の内部から湧き出すような体験として、各自が十分になじませてあるので、全体としては緻密に作りこんである(所狭しと集団で走り回るシーンでもぶつかりそうな危うさは全く感じなかった)にも関わらず、その場で動きが生まれだしてくるという印象をあたえる。

出演者はおおむね非常に若く、まだまだ目指すべき動きをなぞっているような硬さを感じさせる面が多々ありつつも、それがかえって「自己の身体を発見するという課題にそれぞれが取り組んでいる」という新鮮さを感じさせる。それにしてもやはり田中の存在は抜きんでているわけだけど、彼女のアシンメトリーにうねる卓越した動きの鮮やかさを、場の覚醒の契機として用いつつも、次第に多数の者の織り成す網目の中に埋没させていく演出はよく練られている。

しゃべるなどの日常性の挿入も自然だし、ピアニストという素人の身体表現への参加の仕方など、よく考えられている。何よりダンサーを作品の部品にしてしまわずに、一人一人のあり方を大切にしていることが、作品全体のメッセージと調和していた。最後の全員による乱舞にしても、一歩間違えばわざとらしいメッセージになってしまうところを、巧みな隊列の「崩れ方」によって、観客に「踊ってほしい」と感じさせるプロセスを経ているため、圧倒的な祝祭感と日常性を無理なく接合することにより、あるがままの現象として突き出すことに成功している。

このように描きだされた集団・社会は、現実の複雑さに根差しつつも、はるかに風通しよく「開かれた」印象で、そこには「身体との会話」が大きく貢献している。一人一人の表情も個性的ですばらしい。ここには作り物ではない希望の足音を確かに聞き取ることができる。このように明るく勇気をもって我々はこれからの時代を生き抜いていくことができるはずだ。

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