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書く以外の居場所を見つけた話


私は書くことで自分の心を整理する行為を長いことしてきた。
ごちゃごちゃになった頭の中も感情も全て書くことで頭の中から外に出して書き起こし、読み返し、自分の気持ちを外側から見ることでコントロールしたり状況を把握したりする、と言ってもそこまで上手く出来ていた訳では無いけれど

それでも書くことで私は自分の居場所はここだと思って書く行為だけには素直に自分の気持ちを吐き出してきた。

それが少しづつしなくても大丈夫になっていっていることに気付き戸惑いを覚えた。書くことが出来なくなったのではなく、書くことで自分の居場所を作り出した空間に卒業しつつあるということに気付き、それはとても大きな変化なんだと感じている。

過去の自分は感じたその事を必死に伝えたくて書くことに集中してエネルギーを注ぎ込み書くことで疲労を感じたり、手首に湿布を貼ってまで書いていたことがあった。それはとてつもなく楽しかったし今でもやっぱり楽しい。書くことは好きだ。文字にして言葉が連なり文章として良い物が出来た時にとてつもなく幸福感を感じる。嫌なことも辛かったことも書くことで気持ちにケリをつけられていると今も感じる。

経験する事だけに価値があるのではなく人に話したり書いたり外側に向かって発信することで初めて価値があると思っている。プラス、誰かに向かって発信することで返ってくる考えや想い、月並みな言葉だけれど新たな発見や視野を広げるきっかけにもなる。

そんな書くことに重きを置いていた自分が少しづつ居場所が変わっていくことに気づき始めたのは外に出て遊ぶ事が増えてからだった。

今年もあと指折り数えるほどの日数になったけれど思い返してもとにかく働き遊び考えた一年だった。その中で遊びにだけフォーカスを当てると本当に沢山の景色を見て色々なものと触れ合ったのがとても大きかったと思う。これについては少しずつ写真もあるから別途、記事にして残していきたい。

沢山遊びに出掛けて私にも沢山楽しさや嬉しさを感じられる居場所があちこちにある、という事に気がついたのだ。
静かな部屋で文字を書いたり文章を考えて書くのも幸せだし大切にしていきたい時間のひとつなのは変わらない。
けれども何かを必死に言葉にして書き連ねる以外に全力でその場にいる人と空間を楽しみ帰宅して楽しかった、お風呂に入って寝て明日も頑張ろう、と抱え込んだストレスや悩みが吹き飛ぶ一日を過ごす幸福感も覚え書く以外の楽しみや幸せが自分を大いに変化させた。

幸せに感じる場所はいくつも作っておいた方がいい、自分の幸せを感じられる空間を出来るだけ沢山持っておくのが心にも体にもとても良い事で、私の幸せはこれだと一つを大切にすることも悪くは無いけれどいつかその幸せが苦悩に変わり心の拠り所だったのが苦痛に感じ、それでも幸せはこれしかないから、としがみついていくようになるのだけは避けたいと思う。

現に書けなくなってしまったとき、書く熱意も消えてしまったとき、あの頃の自分に戻りたくて仕方なく沢山アイデアと言葉と書きたいことが山ほど溢れていた自分はどこにいってしまったんだろうと、書くことだけが唯一の幸せで取り柄だと思っていたそれさえ出来ない私には何があるのだろうと密かに凹んでいた時期があった。

けれどもよくよく考えて見れば書かないうちに私は多くの苦楽を経験していたし外の世界で沢山の情報を仕入れて必要なもの要らないもの、沢山の物事を精査してきた。当たり前に感銘を受けたり影響を受けたものもある。だから当たり前に心境の変化も起きているのだ。それでも一つしかないと粘り続けていた結果、ぐるぐると沼にハマって相当落ち込んでいた。

私にとって書く、以外の幸福を自ら外に出て見つけ多くの居場所を作ったのはとてもいい変化だ。書く暇がないほど毎日が忙しないしあっという間に一日は過ぎて行く。

丁寧に過ごしたいと思う日もある、もう休みたい何もしたくない仕事も人も何もかも離れたい、と切羽詰まって苦しくなる日もある。多分そんな日の方が多いしきっとみんな同じだ。それでもこんなことを経験出来て良かった、知ることが出来て良かった、世の中には知らない世界がまだあるんだ、自分の世界というのは本当にとても小さいと気付くことばかりでその小さい世界を広げるのかこの先は狭めて行くのか、それも自分次第であるということを改めて書いていて思う。


私は臆病者だから先に進むのが怖い。けれども怖いもの見たさのような、好奇心が入り交じったちょっと怖いけど…だけど進みたい。そんな風に思っている。自分の世界を広げられるように遅いけれど少しずつ色んな物事に触れて知りたい。そしてまたそれを書きたい。

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