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[藤原氏の末裔と知ったら②]出雲族などに謝罪の日々が始まった。ある日、藤原氏からメッセージが!

こんにちは〜のだオバさんです。
僕が藤原氏の末裔と自覚し、藤原に関する神社仏閣を巡り出すと、不思議な体験が始まりました。出雲に関わる方たちと出会う機会が増えたんです。そして、藤原氏の否定的な話を聞くことになりました。
※僕が藤原氏の末裔と自覚した話はこちら。

とあるお話会で出会ったのは、ニギハヤヒさんに関係ある男性でした。
その方から紹介されたのは、『スサノオノミコト』など神さまの歌をたくさん歌われているミュージシャンの瀬戸龍介さんでした。

瀬戸さんのW E Bサイト『AMAN RYUSUKE SETO』

瀬戸さんは、出雲のスサノオさんと深い関わりのある方です。お優しく懐の深さから「スサノオさんって、こんな感じだったんじゃないかな!?」と連想しちゃうくらい^^

瀬戸さんは、僕が藤原氏の末裔だと知ると…
「僕は藤原氏が嫌いだったんだよね。出雲の人たちは本当に苦しんだと思う」と…。
僕は謝るしかありませんでした💦

何度もお会いしているうちに、、
「野田くんに会うようになってから、藤原氏に関係する神社もお参りするようになったよ。藤原のご先祖さまたちは、ミロクの世になるための一つのお役割だったと気づいたよ」と話してくださいました。…僕には難しくてよく分かりませんでしたが^^;

<「藤原に鬼と言われ閉じ込められた」まだまだ続く謝罪旅>


瀬戸さんのお知り合いと話す機会がありました。そこで藤原氏の話が出ると、一人の女性の顔色が変わりました。

「私の先祖は、京都北部の大江山の一族です。藤原氏に京都の神社に閉じ込められ鬼と言われました」と…。
あぁ…そんなこと言っちゃダメだよ〜ご先祖さんよ〜💦即、謝罪です。ごめんなさいm(_ _)m

京都に行った時、知人から「妖怪堂って面白いカフェがあるよ」と教えて貰ったので行ってみると…

少し怖〜い雰囲気のお店でした。中に入ってみると、

“土蜘蛛”のTシャツが…。なんだ土蜘蛛って!?
テレビマンだった僕は、こういうセンスは大好きです。

画家であるオーナーの葛城さんに、妖怪カフェを始めたキッカケを聞いてみると、

画家でオーナーの葛城さん(右)

「ご先祖である葛城一族が、時の権力者に“妖怪 土蜘蛛”にされた。権力者によって捻じ曲げられた物語をリセットするために活動している」とのこと。

ま、まさか…時の権力者とは、藤原氏では???
即、謝罪です。ごめんなさい🙏人間を妖怪にしちゃダメです💢

お話を伺いながら思ったのは、
鬼や妖怪の伝説って、戦いの勝者が敗者を蔑んで物語にしたのもあるのではないかと。
ちなみに葛城氏は蘇我氏のご先祖。藤原氏が台頭するまで皇族関係だったそうです。

“土蜘蛛”の話を聞いたからには、じっとしていられません。謝罪の旅です!

『高天彦神社(奈良県御所市)』の蜘蛛塚。
葛城一言主神社(奈良県御所市)の蜘蛛塚。

日本書紀には土蜘蛛のことを「そのひととなり、身短くして手足長し。しゅじゅと相類す」と…。手足が長い人たちを土蜘蛛って💦
とにかく、とにかく、ごめんなさいm(_ _)m
 
…いや待てよ。冷静に考えたら、なんで僕が謝罪しているの???
藤原氏の末裔とはいえ、本流とはほど遠い端っこの存在なのに。。。
 
もうね、歴史を曲げたり、他の部族を陥れる藤原氏に怒りが湧いてきましたよ💢藤原氏にまつわる神社などを訪れ、怒りをぶち撒けました。

「なんてことをしてきたんですか!!!歴史を曲げないでよ!もう平和に戻そうよ!」って。

プンプンしながら藤原鎌足の奥様だった“鏡王女(かがみのおおきみ)”のお墓に行った時、
鏡族の巫女であった“鏡王女(かがみのおおきみ)”の姉妹と言われている、天武天皇の奥様だった“額田王(ぬかたのおおきみ)”のお墓が無いことに気がつきました。

『鏡王女忍阪墓(奈良県桜井市)』

たまたま通りかかった地元の方から、「額田王のお墓は分からないけど、額田王が造らせた石仏が近くにある」と教えて頂きました。
見たい!見せてくださいと後をついていくと、石位寺(いしいでら)にある“薬師三尊石仏”を案内してくださいました。
※通常は予約制です。

薬師三尊石仏。撮影禁止のため絵葉書より。

う、うつくしい✨
あまりにも美し過ぎて言葉を失った僕に地元の方はおっしゃいました。
 
「男は昔から、権力だの目立ちたいだの欲が強かった。額田王さんは戦乱の世で、良い石仏を残し、後世に多くの人が訪れるよう、また、石仏を拝んでいる間は敵も味方も関係なく、心が一つになるようにという強い想いがあった」と。
 
そっか!男がエゴ剥き出しで戦っている間、奥様たちは愛を発信されていたのですね!
深い愛に触れて心が温かくなりました^^

いつの時代も、男のエゴが混乱を招いているのでしょうか???
振り返れば、僕の中にも目立ちたいとか権力とか欲は渦巻いていました。そんな欲は争いを生み、シコリを残します…そんな生き方は絶対にダメだな…。
あれ!?藤原氏にクレームを言う旅だったのに、自分のダメさに気付かされている(笑)

藤原氏を巡る旅は東北にまで及びました🚗

奥州藤原氏が大きく関わったという岩手県平泉にある『中尊寺』。穏やかな空気が流れる良いお寺でした♪
 中尊寺を調べていくと、僕の藤原氏へのイメージが覆りはじめました。
 
『清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。それは戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意でもありました。』(中尊寺H Pより)
 
えっ!?めちゃくちゃ平和的なんですけど💦
僕が抱いていた藤原氏のイメージと、かけ離れていますです。
法華経を土台とした理念を掲げた奥州藤原氏は、約100年間の平和な時代を築いたそうです。ステキですね〜尊敬します✨

<ある日、藤原氏からのメッセージが…>


藤原氏に対して一喜一憂する旅をしていたある日のこと。
ミュージシャンの瀬戸龍介さんから電話がありました。
 
「野田くん!藤原氏からメッセージがきたよ。よく聞いてね。
“なぜ藤原の過去を晒すのか?我々は、一族、子孫を守るため必死だったのだ”
だそうです」
 
あ…^^;
謝罪の旅をS N Sで発信していたから怒っちゃったのかしら。
でもなぁ〜自分に起こった事実を書いていただけだからなぁ💦

なかなか、メッセージが入ってこなかった僕でしたが、
数年後、藤原のご先祖さんたちに守られ愛されていることに気づく出来事が起こりました!その話はまたどこかで♪

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

※ちなみに瀬戸龍介さんの著書『富士山からのホ・オポノポノ』(ヒカルランド)に、僕のことも書いていただきました。

僕が感じた『この世を生きる意味は、“黒→白→赤”!』
ブログにも詳しく書いています。
「人はなぜ生きるの?」問い続けたボクに起こった不思議体験♪黒→白→赤という物語

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