[藤原氏の末裔物語①]出雲族などに謝罪の日々が始まった。一体なにが起きているのか!?
こんにちは〜のだオバさんです。
あっ…なんで50歳になったオジさんなのに、あだ名が『のだオバさん』かと言うと、僕は花が大好きで、移住した長野県茅野市で花とばっかり写真を撮っていたら、
「あいつ、オジさんのくせに“オバさん”っぽいな…のだオバさんだな」と言われました。
まぁちょっとした悪口かもしれませんね(笑)
そんな話はどうでも良いですね〜今回は僕のご先祖さん・藤原氏の話です。昔からオヤジは「うちは藤原氏の末裔だから」と自慢げに話していました。それを聞いて僕は、「いやいやいや…名前は“野田”だし…。それに藤原氏の末裔なんて、とんでもない人数がいるでしょ?なんなら人口の7割くらいは末裔なんじゃないの!?」って気にもしていませんでした。
心変わりがあったのは、2011年(38歳)。震災の影響もあったでしょう。
「自分って何者なんだろう?これからどうやって生きていこう?」
と、強く思うようになりました。そんな時、思い出したのは“義人(よしひと)”って名前をつけてくれた遠縁の神主でした。行ってみよう!と。
祖母の日記を頼りに、静岡県浜松市にある船明(ふなぎら)という地域を訪れました。
アポなく訪れ、叔父から貰った家系図を見せながら必死に、
「僕は、こちらの“みき乃”おばあちゃんの孫です」と伝えました。
家主はそんな怪しい訪問者を受け入れ、今は閉じたという神社の跡地を見せてくださいました。
そして、見せていただいた『家譜取調』を遡ってみると、『大職冠 鎌足』の文字が…
藤原鎌足ですね!オヤジが言っていたことは嘘ではなかった(笑)
聞くところによると、先祖は越前(福井)の方からこの静岡まで来たそうです。
代々、神官でしたが僕から数えて3代前で閉じたのこと。今でも神官なのは、大阪の阿倍王子神社・安倍晴明神社に養子にいった遠縁だけだそうです。(ちなみにオヤジは阿倍王子神社に下宿し、同志社大学に通っていました)
色々と教えてくださったことに感謝し、帰りに合祀された諏訪神社を訪れました。
この体験がきっかけとなって、藤原氏に関する神社仏閣を巡り始めます🚗(2012年〜)
すると…「私のご先祖は、藤原氏に鬼と呼ばれた!」など訴える人に続々と会うことになります^^;
出川さん流に言うと、なんじゃそりゃそりゃーです(笑)
続きはこちら。『ある日、藤原氏からメッセージが』
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。