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【小説】不二山頂滞在記【54枚】


「パ―ト募集 巫女 十八~二十一才迄」
 平衡(へいこう)を失した筆蹟の求人広告が神社の鳥居に貼られていた。それに目を止めたおれはしぜんと、その上に張られていたチラシにも目を向けた。
「不二山登頂者募集 急募 日給五千円」
 なんだろう。これ。
 詳細は社務所までというので、のこのこ行ってみると、境内は昼間三十九度あったとは思えないほど涼しい。五百円とか千円とかいった値段のついたお守り見本の向うにジャージ姿の男がいた。
 話しかける前にその男がこう勧誘してきた。
「そこの人、八月いっぱい不二山で働いてみてはどうだい?」
 何でも、不二山の頂上には神社があるそうで、山開きの間のみ開けてあり、この夏も既に山開きをしていて大変な盛況であるが、一人体調を崩して手が足りぬ。お盆を前にして、もはや神主でなくてよい。つまり誰でもよいから人手がいる。と言う。
 一日五千円×二十日=十万円。おれを動かすのに充分な数字であったが、これまでの登山は標高六百メートルかそこらの高尾山のみで、それがいきなり不二山。
 職を探しているとはいえ、少し無謀な気がしてためらうおれを、「本当は神主か、その見習しか行けないから今回だけ。」とそのジャージの男がそそのかす。
「ハア、じゃあ行きましようか。」
 五月からアパートの一室に「国際クリエーション」と模造紙の表札を掲げた会社に勤めていたが、実働八時間といいながら、一時から十一時まで働かされてした事といえば、社長のお使い、皿洗いや掃除ばかりで、肝心の情報コンサルタントという仕事はえたいの知れぬまま一月たち、灰皿を洗いながら前日出た、月に十二万の給料を考えてみれば、時給が三百九十円だった。その日、お使いに出ようとしたところに、「これコンビニに捨ててきてくれ。」と焼耐の空き缶を渡されそのまま辞めたので、見物がてら金が入るならばなはだけっこうである。
 とはいえ、おれが不二山について知っていた事といえば高い、寒い程度で、遠く遠く見た事があるに過ぎない。
「ではこれを。」と男が窓口の下から「神明奉仕のしほり」という遠足の注意書きのような紙を渡す。
・登頂前に健康診断を受けるべし。
・山頂は二月中旬の気候である。
・頂上は五合目から徒歩四時間である。
・日給は五千円(交通費を含む)とする。(実働八時間)と記されている。
「そんじゃ、よろしくー。」
 突然世慣れた口調になったジャージの男は窓を閉め、背を向けてしまった。
 今年は夏が始まった途端に、部屋の年代物のクーラーが「ぷん」と言った後、ウンともスンともいわなくなくなったので、避暑気分で不二山に行くのも良かろう。それに不二山頂の、しかも神社に滞在するという経験は珍しい。おれは今までこういう機会を尻込みして見過ごしていたから、えたいの知れぬ会社で皿を洗っていたわけで、これはいい機縁になりそうな気がする。
 そうだ、そうだ、とりあえず下着を買いに行かねば。

 三週間分の荷造りをしなければならない。下着は八枚買ったが、他は皆目見当がつかぬ。頼むところなし。と嘆息(たんそく)して足を投げ出していると日が暮れたので、飯にすることにした。といっても蕎麦しかない。選ぶところなし。
 箱根の山を越えるのは高校の修学旅行以来、十二年ぶりだ。京都に行く新幹線で静岡を通ったら、東京で見るのと大違いの大きい不二山が見えた。ところで明日は十時に出発しよう。新幹線で行く金はないから、鈍行だ。それか確か新宿から河口湖行きのバスが出ていたからそれに乗って行けばいい。蕎麦が茹った。
 ざるに蕎麦を盛って箸を割ったら、「ギョーザー」と石焼芋のような声がする。家のアパートの前で止まる音がした。階段を昇って来るらしい。
 どうも餃子屋が家の前に立った気がする。玄関が鳴った。
 開けると住所不定の幼馴染、巨勢(こせ)という男で、餃子を売る事にしたからさっそく買え。と言う。
 巨勢は法学士でありながら全く就職しようとせず、法学部に行ったのは、「たまたまだ」と言う。大学二年の夏に姿を見せないと思えば、インドネシアのひなびた村に二週間行っていたというから、どうしてまた、と聞けば「たまたまだ」という。その「たまたま」の積み重ねだけで己を組み上げているような男である。
「たまたみ」の積み重ねで世を漂うのはおれも同じで、子供の頃、「建築か薬は食うに困らねえ。」と言う爺さんに聞かされた文句が忘れられず、二浪して工学部の建築科に入ったものの、学生課で紹介されたテレビ局のアルバイトの方を優先しているうちに図面を引く事に目当てがなくなってしまった。百万円の授業料を納めるのを惜しめば除籍になる。大学を辞めた途端にテレビ局は日当が同じで仕事が倍になり、辞めたはいいが、何が出来るという訳でなく、目に付いたアルバイトを三月(みつき)と勤めず転々としている。巨勢は巨勢で、大学卒業後、甲府へ行くというから、「就職が決まったのか。」と聞けば、「違う。引越しだ。」半年後、今度はグアムへ行くというから「バカンスか。いいな。」と言えば、「就職だ。」しかし三カ月後にはなぜか新宿で荷台を引っ張っていたので、「何をしているのか。」と糾(ただ)すと、「牛乳屋になった。」
 という具合に職業と居所を幾度も変えていたが、一年ほど前、アメリカでたこ焼きの屋台を引いているという報を最後に音沙汰がなくなっていた。
 せっかく車を持って現れたので、さっそくおれは頼んだ。
「明日不二山まで送ってくれ。」
「何だそれは。言ってる事が分らん。」
 おれの蕎麦を食いだした巨勢に経緯(いきさつ)を話す。
「明日も仕事た。」
「なら、餃子を売りながら不二山まで行くのはどうか。」
「なんと、そうくるか。」

 翌朝は七時に目覚ましをかけたら、六時五十五分に目が覚めた。おれは八時にかければ、七時五十五分には目が覚める。六時にかければ五時五十五分には目が覚める。しかし、目が覚めたといって、起きるにはまた別の気合が必要なわけであって、どうもその気合がしぜんと沸いてこないおれは、もっぱら、目覚し時計を二度寝しない事に役立てている。今朝も体を起したまま、このまま起きるのとこのまま蒲団にいるのとどちらがいいか、などと考えていたら寝てしまい、目覚ましが鳴った。
 九時過ぎに「ギョーザー」という太い声が聞えた。
 降りて行くと、巨勢はアパートの若い主婦に餃子を売っていた。
 おれは朝の挨拶をし、餃子の車に乗り込んた。サイドミラーを一瞥(いちべつ)すると、餃子を手にもつ主婦がこちらを見ていた。
「昔、神様がみすぼらしい身なりで、不二山の所に来た。『一晩泊めてはくれぬかのう。』『今は、大事な祭祀の最中だ。困る。』不二山は断った。神様は次いで筑波山へ行った。『一晩泊めてはくれぬかのう。』筑波山は丁重にもてなした。それからというもの、筑波山は人の多く登る豊かな山となり、不二山は不毛の地となりました――。」
 案内書のまま巨勢に話してやると、
「不毛の山になるのはそういう巡り合わせだろう。まあ、俺だったら、腹いせに噴火の一つでもするけどな。」
「ああ、だから不二山は火山になったのか」
「それだ。」
 後は着くまで助手席で寝ているつもりであったが、神社がどういうものか分らない。神社でおれが何をするんだろう。素人に御祓いをさせる事もなかろうが、かといって御守売りも巫女さんがやっているし。いや、人手が足らないのなら、御守売りもするかもしらん。巫女さんと並んで。しかし、しょせん、おれがするのは皿洗いや掃除にお使いのような気もする。が、不二山頂でどこに使いに遺(や)られるのか。いや待て。不二山の頂上は噴火口のはずだ。噴火口のどこに神社が建っているというのだ。少し酔ってきた。
「なあ、不二山の頂上に建物なんかあるのか。」
「不二山に建物など見えないからな。火口の内側にあるんだろう。頂上から入って下に下りる感じだな。」
「ううん。よく感じがつかめんが。」
「ドイツで俺が下宿していた家は、通りから見れば平屋なんだが、裏から見ると四階建てで、崖にへばりつくように建ててあってな、入口が四階で下に下りて行く感じだ。」
「なるほど。」
「すいませえん。餃子下さあい。」と後ろから走て追いかけて来る者がある。
「それじゃあ、やっぱり神様が一番でその次が神主。バイトは一番下かね。」おれは客の相手をしている巨勢と話を続ける。
「大方そんなところだろう。四百円です。」
「これはどこ産の豚肉ですか?」
「ええと、国産かな。」
「ギョーザー」「ギョーザー」と鳴らしたまま巨勢は商いを主にしているので、一時間たってもまだ都内を抜けていなかった。あと三時間で着くのだろうか。二時までに行かねばならないのだが。
 おれは急がせた。
「たが、餃子が。」と巨勢はためらったが、
「帰りに売ればいいだろう。」
「そうだな。」
 餃子を積んだ軽トラックは、大通りを「ギョーザー」「ギョーザー」と疾走する。信号待ちの時に、餃子を求める者が寄って来ないか気が気でないので、なるべく歩道から離れて走らせた。
 高速に入ったが切符を貰う時も「ギョーザー」と言っている。
「これ止まらないのか」
「車が止まらないと止まらない。昨日から始めたから使い方が分らん。」
 そうして時速を百二十キロに上げ、東名高速を西に、「ギョーザー」「ギョーザー」と軽トラックはひた走りに走った。

 集合時間の二時をいくらか過ぎた頃、不二山を後ろに控えた鳥居の前に「ギョーザー」と言う声が太く長く響く。
「それじゃ、一と月したら迎えに来るから。」と、巨勢は、餃子を売りながら片手を挙げた。
 御守売り場で、五十格好の男が十五、六の娘の手を引いて、
「あの、病気に効く御守はどれですか。」と巫女さんに聞いている。
「わたし、病気なの?」と言ったのは娘である。
「そうだ。お前は病気なんだ。」と親父は念を押す。
 巫女さんは、「こちらが病気平癒守りでございます」と白地に朱の刺繍の御守を指す。
「じゃあ、それください。」
「はい。七百円になります。」
「いいか、これで治るからな。」と親父は娘に包みを渡す。
 娘は受け取る寸前におれをちらと見たが、そのまま受け取り、手を引かれて帰っていった。
 ふむ。何やら機縁(きえん)の萌芽(ほうが)、つかめそうでつかみ所のないものが通り過ぎていった気がするが、おれは巫女さんに声をかけた。
「はい、お待ちしていました。あちらからどうそ。」と、袂(たもと)を押えながら脇の入口を指す。
 入って行けば、現れたのは四十位の神主で、
「皆待っているから。」
 皆? ハテ、皆とは何だろう。
 おれ一人が手伝いに来たのではなかったのか。
 神社に上がると、三十畳敷きの広間に背広を着た若者七、八人がずらっと正座をしていた。
 全員角刈りである。「どうも」と軽く会釈すると、
「おはようございます。」と野太い声で一斉に言った。神社のバイトともなると、声から違う。この暑いのに背広で正座。大したものだ。修行みたいだ。
 おれの分たけ残っていた生温いカルビスを飲みながら、
「やっばりアルバイトですか」と手近の木彫りのような四角い顔の男に話しかけてみる
「いや、修行だけど。」
 開け放しの襖の向うから、浅黄(あさぎ)の袴の神主が現れた。
「暑いなか御苦労様です。皆さんは、これから神社の奉仕という大変意義のある事をします。それをしつかりと頭に入れて、修行という大変貴重な場を与えられているという心掛けを忘れないように。お客様から見れば、われわれもあなたたちも神主と見えるのだから、いつも気を引き締めて下さい。」
 言い終えるとおれに向かって、「あなたは修行では無いけれど、修行扱いでお願いします。」と付け加えた。
 一体、おれの待遇は上がったのか下がったのか。前の国際クリ工―ション社は最初はアルバイトですぐに準社員になったが、やれはやるほど待遇が下がって行ったので油断は出来ないが、修行なら修行で、終えれば何かしらのものになるんだろう。いや、はっきり言って、神主になれるはずである。神主か。人生の待遇が格段に上がって、大逆転の予感がしてきた。
 最後に、「今日は集合日なので給料は無しです。」と言われたのは、思ってもみなかったが、人生逆転を控えているので黙っていた。

 翌朝は、六時に起きて神社のマイクロバスに乗り込んだ。
 おれは体調により車酔いをする。
 起き抜けの飯抜きで、うねった山道を行ったものだから、おれは酔った。
しこたま酔った。進んでいるのか、戻っているのか分らないうねった山道に揺られ、五合目の駐車場に着いた時、泥酔者と変じて車を出た。二歩目にはその場に打(ぶ)っ倒れた。一歩も歩けぬ。歩くどころか立つ事も坐る事もできない。辺りの地面は揺れ動き、体を押しつけてくる。
 おれは唸(うな)った。不二山にこれから登るというのに、起き上がれぬ。まだ五合目たというのに、酔いつぶれて動けぬ。ああ蝉の声。
五 合 目 で 酔 ひ つ ぶ れ る や 蝉 し ぐ れ
 おお、何だか俳句を得た。もう一度やってみよう
 ううん、駐車場で一人倒れて見えるのは、車ばかりだ。皆、さっさと行ってしまった。誰一人おれに声をかけてこない。ああ入道雲が見えるな。車と雲。
 うめいていたら、通りがかりの女が尻を隠すように過ぎて行ったので、ふらふらのまま起き上がる。皆がいると思(おぼ)しき土産物屋へ千鳥足で向った。
 皆は腰掛で一服していたが、おれに気づくや、「ああやっと来たヨ。」と、煙草を揉み消し、登り出した。後に続く。
 土産物屋では、「登山するには杖が要る 金剛杖(こんごうづえ)は身の支え」と節をつけて杖を売っている。
 他の連中は金剛杖を買っていたが、荷物になりそうなのでそのまま登り始めたものの、四、五歩で這(は)うようになり、土と礫(れき)でできた登山道の入口からして他の者に置いて行かれ、「こりやいかん。」と、まだ飛ひ降りれば戻れそうな所で引き返し、金剛杖を購(あがな)った。千五百円也。
 金剛杖は白木でできた八角の杖で、六合目から順に登るにつれ、、山小屋が「六合目」、「七合目」と、それそれ焼印を押す。が、これが一回二百円。
 頂上までの金高に腰が引けたが、同行の者が、「これから上の神社で奉仕なんですよ。」と言ったら、「それなら御代は結構ですよ。」との事で、おれも押してもらった。
 六合目の山小屋を出ると雨が吹きつけてきた。予告もなく降る。おれは顔を上げて不二登山に挑戦しようと計画していたのであったのだが、車酔いもありもっばら足下を見て登る。最初は吸殻や紙屑に気を取られていたが、段々暗褐色の石が増えてくるのは溶岩であろう。スイカくらいの物まで現れてくる。八合目辺りから草はもちろんの事、苔もなくなり、ただ鉄屑色の砂礫となる。
「サア、頂丘まであと三十分」という看板に釣られて顔を上げれば、山道の向うは思いきりよく晴れている。
 素木の鳥居をくぐれば頂上だった。頂上と言うから絶壁のようなところを考えていたが、平らな地面になっていて、人が行き交っている。山小屋の方から、「休憩いかがっすかあ。」と呼び込みが聞えてくる。ラジオが庇(ひさし)に据(す)えられたスピーカーから流れている。郵便局まである観光名所のようだ。不毛の地と思えない
 振り返って景色を見た。見霽(みはる)かす緑と白と青の景色は果てしなく、涯(はて)は水平線か地平線か分らない。一歩一歩、また一歩でこの眺め。薄い緑をした湖が見える。湖は広い。湖が灰色で縁収られているのは建物の群れだろう。少し遠すぎるが緑もきれいだ。東京湾まで見える。随分遠くまで来た。そう言えは箱根の山のこちらへ来たのは修学旅行以来だから十年以上前か。たまには越えてみるものだ。時計を見れば五合目から丁度四時間。時間に正確に頂上に着いた。
 皆紳社に向う。石の柱に神社と記されているので山小屋態の建物がそれと分り、入り口脇には「頂上お守り授与所」と看板が立てかけられ、ガラスのはめ込まれた木戸の向うに賽銭箱が据えられてあり、板葺(いたぶき)屋根に石で重しかしてあるのは、 よほと風が強いと見える。
 そうしている先に同行の者たちは神社に入ってしまった。正面脇から木戸を引いて入ると、沓(くつ)脱ぎには三十位の下駄や草履や運動靴が散らばっている。おれは敷居に片寄せるように靴を脱き、それから大股で越して二段上がり、入れば十二畳の座敷で、床の間も飾りと言うものもなく、畳はそそげ、剥げた壁には修行に来た者の感想や抱負か荒っぼい筆跡で書かれてある。柱には枠のない鏡が掛かり、その下には古びたテレビがワイドショーを流している。長火鉢には炭の他、吸殻びがパイプウニのようおびただしく突き刺さっている。押入れに襖がない。荷物が紛然雑然(ふんぜんざつぜん)と転がっている。
「こりや、タコ部屋じゃないのか。」
 おれは、荷物を背負ったまま口を開けすに唸った。
 先客が七人いた。今度は皆坊主頭で、白衣に黒袴を着て、煙草を咥(くわ)えて笑っている。同行の者たちは彼らと馴染(なじみ)らしく、さっそく言葉を交わして、久し振りでどうの。登山はこうだった、どうだった。などと言い合いながらその辺に荷を下ろしている。
 おれは大所帯に嫁に来たような心持ちがした。
 隅に荷を下ろす。おれも隅に坐って、する事がない。
「先輩が寮を出発してから寂しかったですよ。」
「ちゃんと毎朝、寮歌を歌っていたか。」皆笑う。
 一人だけ島帽子を被っている見習らしい青年が、
「荷物は適当に置いといて。あと、その棚、一つずつ使っていいから。」と、入口脇の棚を指す。
「と言っても、俺は食い物が入っている時は誰のでも開けるけどね。」と顔の赤黒い青年が予告するのに、皆笑う。
 おれも端から笑ってみた。
 続けて、「多分、今日は仕事ないから。うちらも初日は休みだったし。高山病に慣れるのが先だな。」
「高山病って皆かかるんですか。」
「誰でもかかる。治しようもない。早ければ二、三日、遅くても一週間は治らないから。」
 おれは端から笑ってみた。みんなでおれを黙って見た。
 太った神主が白と黒の着物を抱えて現れた。
「今日来た者は、これに着替えて集合。」
 白い着物と、黒い袴を拾い上げたが、さて、着方が分らない。着物を着て、袴を穿(は)いたものの、何やら前と後ろから帯が出ていて、これをどう結びつけるのかが分らない。たとえば、西洋料理の食い方が分らない時は、人が食うのを待ってから手をつけるのがスマートである。よしここも、と周りを見れば皆しっかりと着替え終え、坐って足袋を履いている。
 おれは鳥帽子の青年に着方を聞いてみた。
「ああ、それはね。」と前の紐を後ろにやり、後ろの紐を前に持ってきて、一から教えて くれる。
「俺は『白衣が着られないんだったら神主になるな。』って親父に言われたけどね。」と細面の青年が言う。
「ははあ。厳しいね」
 殆(ほとん)ど着せてもらって集合したのは御守が並んでいる所で、巫女さんの姿はない。
 さて、御守など売った事がないので、具合が分らない。「有難うございます。」と言うのも商人(あきんど)みたいで変な気がする。隣をうかがうと、「ようこそ御参拝くださいました。」などと長い台詞を吐いている。おれは具合が分り、御守を並べ直してみた。
 それから、なぜか登山客はおれには声をかけず、今日は御守を売る事もなかった。一日の勤めが終って、神社を閉め、皆神前に集まった。祭壇の燈明が点され、厳かになる。皆その前に正座をする。誰かが言った。
「今目の反省をします。黙想。」
 静かだ。どうも緊張する。腹がごろごろする。夕飯の玉葱と烏賊(いか)とピーマンの炒め物。あれだろう。ぶつ切りだったし、火が通っていなかった。おれの胃はデリケートなところがあるからな。
 御守売りは慣れれば何とかなりそうだ。しかし、巫女さんがいなかったのは予想外だ。どうもおれの行くところは男ばかりだ。うむむ。頭が痛いな。
「黙想止め。」
 頂上に着いた時は何ともなかった。空気の濃さか平地の三分の二だと案内に書いてあったが、よく分らない。それにしても寒いな。なんだろう、この寒さは。確か、山頂の気温は十二月並と「しほり」に出ていたが、冬はこれほど寒かったか。忘れていた。温度計の赤い線が短いな。おお、氷点下だよ。
 タコ部屋に戻ってじっとしていたら、夜も八時になった。消燈との事だが、ここは畳の上も、寝床としての押入れも満員で、太った神主が燈(あかり)を取って、「今日来た者はこっち。」と言うからついて行けば外に出た。
 神社の隣に溶岩が壁一面に積まれている小屋があった。巨大な蟻が密集して頭を突込み尻を並べているかのようで、気味が悪い。窓がすべて板で塞がれている。他の者と入ると、外と同じ寒さだった。板間に蒲団が重ねられている。
 唯一の暖房らしい裸電球も、消されて真っ暗になった。
 このような陰室で蒲団にくるまったところで、どうしようもなく寒い。
「寒い。寒い。」と言ってみたものの、聞えるのは鼾(いびき)と雨戸を叩く風の音ばかり。おれは持ち合わせている服、下着、靴下、足袋、タオルなど、有らん限りの布を巻きつけ凍えていた。
 仰向けになったり横になったり、ひとまず腹式呼吸をしてみたが、何の効能もない。頭痛がひどい。髪の毛が引き抜かれそうだ。寒い。頭が痛い。寒い。頭が痛い。と繰り返し念じていると、おうおう、あれあれ、ここ、ここ、うんうんなど、ざわめく人の声が外でする。
「この山の霊だろうか。」
 窓を見ると、フラッシュの如(ごと)く光るものがある。
「工事かな。」おれはそんな事を思った。
 すぐに部屋の戸が開き、入ってきたのは太った神主で、
「朝だ、起きろ。」
 朝って、まだ夜中だろうと、時計を引き寄せると三時半だった。

 外では、「ツアーの皆さあん!」と案内人が激しく叫んでいる。おれは巻きつけていた布から抜け出し、上着を脱いで、白衣黒袴になった。
 外に出たら人だらけだった。
 御来光という有難い日の出を拝みに来た人たちの協を抜け、神社に入る。
 神主の部屋に車座になり、当番が茶を配る。神主が、
「今日はお客さんが多いからがんばってくれ。」と訓示を述べる。皆、「はい。」と言う。茶一杯飲んだら、すぐにほとんど走り出る。四人程むすっとしているのは、腹が減っているのだろう。
 見習が二人、土間へ降りて左右から戸の閂(かんぬき)を外すと、カンテラを頭につけた登山姿の参扞客がなだれこみ、賽銭を放りながら、「あれをくれ、これをくれ」と市場のようだ。加えて、「御守は、こっちって呼べよ。」と見習の一人が言い捨てて行ったので、「ええ。」と発声練習をしていたら、「これね。」と参拝客が御守やしゃもじを五つばかりつかんで渡したのを、「四千円です。」と勘定を言えは、「二千九百円じゃないの。」「ああ、そうでした。」
 賽銭箱の向うでは、見習神主が、「カンテラのライト消してくれます?」と眩(まぶ)しそうにしながら御守を渡し、「手袋のまま御守に触らないでくれます?」と注意を浴びせている。
 三十分くらい働いていたら神社のなかには一人もいなくなった。神社の前のわずかな地面には、人々が寄り合い、皆東向きで日の出を待ち望んでいる。
 地平線が明るくなり、太陽が昇って来る。御来光の赤い光が神殿の内側にまで届く。神主が御来光に向って、二度頭を下げ、二度柏手を打ち、もう一度礼をする。今は「何をくれ。」という客はいない。皆でこの寒いのに夜中に登って来るくらいだから、有難いものなんだろう。おれもやってみよう。頭を下げて、手を打って、湿った音しか出ないな。もう一度礼をしてみる。うむ。
 いい心持ちになった気がする。
 太陽が昇りきると、また神社の内は混み合うが、先程迄のような押し合いへし合いではない。さっきは皆、眉尻が吊り上がっていたのが、今は眉が開いている。
 金剛杖に「不二山頂」と打ち込む刻印所も整然と並び、「こちらから並んで下さい!」という声も聞えない。刻印を打っ金槌の音が響く。
 下と違い、山頂では焼印ではなく、「不二山頂」という刻印に朱肉をつけて金槌で打ち付ける。百円値上がって三百円也(なり)。
 六時半に混雑が退いて朝食をとる。流しの前のテーブルに納豆と海苔とご飯が置いてあった。前に巨勢が「イギリスに行く事があったら三食朝食にすべきだそ。」と言っていた。おれはイギリスに行く事もなかろうと聞き流していたが、不二山でも三食朝食で構わない気がする。壁に据えられたスチール棚には、冷蔵庫が要らぬと見えて納豆や卵や野業の類が納まっている。
 朝食後、鳥帽子を被っていた見習神主が、「じゃあ、河島と山折と瀬田、売り場に出てくれ。」と指示する。この青年は、見習のまとめ役と見える。
 
 一時間仕事をすれば、一時間自由時間を貰える。何をしようかね。
 ひとまず外に出た。
 崖際は腰の高さに石が積んである。軽く身をかがめて眼下を見下す。裾野には樹海が広がっていた。茹でたワカメのような緑色をしている。不二の裾野は樹海だらけた。
 カンテラを頭につけたままの人が、「江ノ島だ。」と指差す。江ノ島が見えるなら、東京タワーも見えないかと思ったが、東京の方は灰色の靄(もや)がかかっているだけだった。
 高峰より眺める景色は広大だが、ぼうっとして平らに広がっている。雲しか動くものがない。
 昼過ぎより雲が多くなってきた。雲はある高さよりと下へは行けぬらしく、温泉場の湯気のように湧き上がって浮かんでいる。緑の海に現れた陸地のようだ。夕方にはすっかり四方雲の海になった。下界は雲りだろうが、不二山頂は晴れている。空と雲しか見えない。
 タ陽が不二山を背後から照らせば、雲の海には不二山の巨大な影が現れる。
 その影不二以上に、もくもくとした雲の海がおもしろかった。歩いてどこまても行けそうに思える。
 夕食後も外に出る。温度計は五度なので、夕涼みとは言えない。はるか下で、何かが光っている。石組みに手をかけて目を凝らしていると、わすかばかりの登山客の一人が、
「雷だ。」
 神鳴りもここ不二山より見ればかわいらしいものだ。
 おれは天弯(てんきゅう)を仰ぎ見た。おお、星だらけ。星の連なりを寒さに耐え得る限り見つづける。

 不二山ともなれば火口を廻る縁も広い。
 その縁を廻る事を「お鉢めぐり」と称する。
 翌日、休憩時聞にそのお鉢をめぐる事となった。暇な時は神社の前庭で鶏のようにてくてく歩くより他なかったので、今は夏でここは冬のようだが、心は春の如く、晴れ晴れとして爽快な気分で出発した。そこへすかさず突風が吹きつけ、身も心も軽くなったおれを飛ばそうとする。
 視線をずらせば麓(ふもと)の緑が見える。右へ足を滑らせれば、火口まで転がり、左へ踏み外せば、七合目までは止まれそうにない。風が強くなってくる。おれがその堤の上のような赤土(はに)道を這(は)うように進んでいると、気象庁測候所の坂下に着いた。が、それは見上げるような急坂であった。いや、坂ではなく山に見える。禿山の頂上に測候所の白いドームが乗っかっている。
 金剛杖は置いてきた。登れば登れない事もなかろうが下りるのも大変そうだ。体力は温存しておきたい。
 この坂を登った所が本当の最高峰らしいが、ここまでくりゃ同じだ。ああ、いいや。戻ろう。右から行った者が、右から戻って来たって分りゃしないだろう。
 火口の内側は土が灰褐色で、万年雪が縮まって煤(すす)けたまま残っていた。日陰に残された雪も不二に合わせて大きい。八畳間を横に三間並べたくらいであろう。その左手に縁から少し下って、平らな石の田んぼのような灰色の荒れ地がある。ぼつんと石碑が立っている。ありゃなんだ。よく見えないな。目を凝らして見てみよう。よく分らないおれは目を吊り上げてみた。うむむ。見える。水と書いてある。あんなところに水があるのか。
 茶が見習に出されるのは朝のみで、主に水分は味噌汁からとる。それでは病気にならないかというので、外に自動販売機がある。各自それを好きなだけ飲んでよい。と言われたが、買う金をくれるわけではない。自動販売機は地上と価(あたい)が違い、冷やした飲み物は三百円、温められた物は四百円である。水といえば台所に蛇ロはあるが、そこから出てくるのは貯水槽に溜まった雨水で、沸かさないと飲めない。いや、沸かしたところで飲めるのだろうか。
 おれが着く前日に、台風が不二山をかすめていたから相当水はあるはずたが、沸かして茶を飲ませてくれるかというとそうも行かず、歯磨きの嗽(うがい)さえも茶碗一杯きりで後ろに見張りを立てていた。
 火口の内側は灰褐色の砂の層が露出しているが、頂上の縁は岩石が被さっていて、鮪のあらのような色をしている。人の行く道の色をしていない。
 人が居ると思ったら、見習神主が三人が立っていた。坊主頭が立ち小便をしている。身を隠すところもなければ向うも気づいた。
「あれ、何でこっちから来んの。」と名前は知らないが別の坊主頭が聞いてくるので、
「いや、用事を思い出して。」と、足下に注意しながらすれ違った。

 不二山を越えて行こうとする雲か流れて山頂は霧に包まれ、小暗くなっている。頂上にある白い狛大も薄影のようになり、目はかえって耀(かがや)きを発するように見えている。
 視界は二十米(メートル)先がきかなくなる。
 山小屋の店先で髯(ひげ)面の青年が、「万年雪で冷やしたジュースいかがっすあ。」とおれの鼻の先で叫んだ。山小屋を覗(のぞ)いてみる。座敷には、赤だ黒だ黄色だ青だといった登山着の者が立ったり坐ったりしていた。
 壁にメ ニューが張られている。
・カレー 千円
・ラーメン 七百円
・うな重 二千円
・刺身定食 千五百円
「不二山頂で刺身か。」
 神社に戻ると、私服に着替えた見習が四人出てきて、「今から八合目に行ってラーメン食べてくっからよ。」と、名前は知らないが顔の赤黒い者かおれに笑って告げた。
「ええと、山小屋にもありますが。」
「分ってねえな。八合目まで降りたら沸点が高くなるから、うめえんだよ。百円安いしよ。」と鳥居をくぐって霧の向うに消えて行った。
 タコ部屋に戻ると、見習が二人に神主が三人いる。
 烏帽子を被った見習の青年が、「ここの頂上って神社のものなんですよね。」と妙な事を言う。不二山は、ええと、誰のものだろう。
「そうだ。不二山の八合目以上は全部境内だ。」
「八合目までは国の物たが、頂丘は神社(うち)の物なんだ。徳川家康が神社に奉納したのだ。」
「明治になって、一度国の物になったが、うちが返還訴訟裁判を起して、返してもらったんだ。」
「石ころ一つもうちの物だから持って行ってはいかんそ。」
「構わず持って行く不届き者は、霊山の石を持ち帰って災難に遭(あ)うのだ。すぐに送り返してくるけどな。」
「うちの神社はたまに宅配便で石が送られて来るんだよ。『すいません。』とか手紙が入っていて。」
「へええ。」などと話していると、太った神主が現れて、「荷が着いたぞう。」と言うや否や、全員が一斉に立ち上り、おれを残して飛び出て行った。皆、仕事と聞くなり、跳ね上る。おれが神社を出た時には早々と段ボールの箱を抱えながら駆け戻って来た。
 おれも向えば、山頂にブルドーザーがいる。不審に思えたが、やはり、ブルドーザーである。どうやって登って来たのだろう。
 インスタントラーメンの箱を抱えたおれは、レトルトカレーを抱えた神主に聞いてみた。
「ブルドーザーはどうやって登って来たんでしょう?」
「ブル専用の道があるんだよ。」
 神社の御守を始めとして、不二山頂の賑いを支えるもろもろの物はブルドーザーが運んでくる。水は無い。

 お盆には参拝客が増える。朝は、「今日は雨だからお客さんは少なそうだ。」という胡麻塩頭の神主の訓示通りであったが、昼前に晴れ上がったところ、雲から人が彿き上る如く登ってきた。日本人でなくともお盆は休みらしく、種種雑じって登って来るので英語を話す人種に「神社」という英単語を使ってみたが、言っても書いても一人も通じない。
 休憩時間になり、日向ぼっこをしながらその辺に浮んでいる雲を眺めていると、頑丈そうなアメリカ人がぞろぞろと山頂に現れた。山を征服したつもりでいるのか、奇声を発している。
 袴姿のおれに話しかけてくる。
「お前は何だ」
「日本の僧侶の補佐だ。」と応えれば、
「そうか、おれたちは横須賀から来た。」と顔面まで鍛えられた米人が言う。
「横須賀というと、海兵隊か。」と日本語で言ったのだが、
「その通り、今日は休みだ。ホー!」とレスラーのような米人が奇声を発す。
 通じたので、「どのくらいかかったか。」と、これまた日本語で聞き、「二時間だ。いい景色だな。」と、先の米人が答える。
 彼らは他の登山客と違う。全員、Tシャッと短パンである。
 杖も持っていない。
 仕事に戻り、再び休憩に外に出ると、海兵隊が神社の脇で全員並んで寝転んでいる。
「魚河岸か。」
 胡麻塩頭の神主に、
「海兵隊がたくさん寝転んでいます。」と報告すると、
「ああ、毎年来ているんだよ」と平然としていた。
 タコ部屋に戻ったおれに、見習いの一人が、
「暇なら、こっちで作業があるから。」と眉を上げながら、かんばしった声で言う。
 行けばタコ部屋の隣の間で、窓もない裸電球の下、白装束の男たちが肩を寄せ合って働いていた。いつもは戸が二枚立て切ったままで物置とばかり思っていた部屋である。
 四畳ほどの穴倉のような部屋は奥に流しがあり、その脇に冷蔵庫大の濾過(ろか)機がある。「要修理」と貼り紙がしてあった。
 まず、一番奥の男がうずたかく積まれた白いプラスチックのボトルを水で濯(すす)ぐ。濯いだ物を脇に置けば、次に控えた一人が雑巾(ぼろ)で拭(ぬぐ)う。渡された一人が蛇口をひねって水を注ぎ、隣の男に渡してまた拭き、一番手前の太った神主が箱に詰める。
「おめえ、見てねえでやるんだよ。」と言われたので、おれは箱を組み立てる係として加わった。袴のまま板間に坐ってしばらく黙って働いていたが、太った神主に、「これは何です。」とおれはこの神主らしからぬ労働の事を尋(たず)ねたのであったが、
「裏にたまった雨水だよ。」
という具合に、この人は聞くと何でも答えてくれる。
 ある時神社の脇にいる狛大が、小さい狛大を前足で押えつけているのを、「これは何故踏んでいるのでしょう。」と聞いてみたら、「いい子、いい子しているのだ。」と言い、「ならは向いの球を踏んでいるのは。」と聞くと、「いい気分で遊んでいるのだ。」
 また、ここの神様はどこにいるのかと質問をした参拝客には、「この真上にいる。」と応じていた。
 水汲み業を終えて再び神社に出ると、パリの市場で野菜を商っていそうな太目の外人女性が金剛杖を片手にしてやって来た。刻印所を受け持っていたおれは、刻印を杖に当てがい、金槌で打ち込み、
「三百円也。」と杖を渡した。
 その女は杖の「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」の刻印を指し、
「これは何という意味か。」
 ふむ。全然知らぬ。
 机の下から案内書を取り出し、「六根清浄」を調べた。ふむふむ、目、身、舌、耳、身、意が清浄になる事か。
 身振り手振りでまず、目を指した。「フン。」分ったようなので、次に鼻を指す。「フン。」しからば舌を出す。「フン。」続いて耳、休を指し、最後に扱いに窮(きゅう)するものが現れた。意とは何か。心みたいなものだろう。頭を撫で回す。彼の女は「フンフン。」
 そうして、おれは言った。
「オールクリーン」
 彼の女はオーケーと大きくうなづいた。引き続いてこれは何かと杖の別の所を指す。
 そこには福福とした大黒様が印されていた。
 おれは途方にくれた。日本語でさえよく分らぬものを、英語でなんと言うのか、周りを見たらどうした事か、誰もいない。
 おれは目を瞑(つむ)り、思案した。分らない。目を開けて大黒様を見た。米俵に乗っている。ああ、そうか。おれは言った。
「イッツライスゴット。」
 彼の女はうなづいたと思ったら、
「それはここにいるのか。」
「いるでしょう。」
 女は、「さようなら。」と手を振り、敷居を跨ぎながら振り返り、投げキッスをよこして去った。
 それからおれは、金槌を三十分打ち続けた。

 霧が出てきた。神社の前を薄い絹のようなものが流れて行く。雲のなかにも濃淡がある。おれは賽銭箱の脇で天狗の置物を並べていた。すぐ隣で見習の川島が咳をしている。どことなく爬虫類の面影があるこの青年は、一週間前より風邪に苦しんでいた。
「まだ辛そうだね。」
「いや、わざと咳してるんです。」
 黙って座って縁起物の品々を並べているうちに、風も出てきたので表の戸を閉めに行こうとしたところ、杖にすがって爺さんが一人入ってきた。
 六十五歳以上の人には参拝記念として、御神酒を差し上げ、扇子を授与する。
 爺さんをその方に案内するが、足下が震えている。白い雨ガッパの胸につけた名札には、「倉田征次郎七十八歳」と書いてあるのだが、記帳を見ると、当人はまだまだ七十ちょうどと思っているらしい。
 爺さんはすぐに帰ろうと、「戸を聞けてくれ。」と言ったが、足首の高さの敷居をもう跨(また)げない。
「ええと、付き添いの方はいませんか。」
「わしゃ、一人で来たんだ。大丈夫だ。毎年一人で来てるんだ。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。」と呟き始めた。
 休憩時間に土間を掃除していた見習の志田、この青年も普段は他の者と同じ寮生活であるそうだが、一人、昨日来た。その志田が、
「身内に連絡をした方がいいでしょう。」と言う。
 とりあえず、爺さんを山小屋で休ませ、名札に書いてある倉田武という息子に電話をかけてみる。
「ええと、倉田武さんですか。」「そうですが。どちら様でしようか。」「実は、お宅のお爺さんが、今、不二山の頂上に居られて、そこの神社の者なんですが、お爺さんの体調が悪くて、下りるのは危なそうなんですね。」「ああ、そうなんですか。」「ええ、天気も悪くて。」「ああそうですか、よろしくお願いします。」「はい。」と電話は切れる。
 お願いしますったって、困るので、じゃあ今日はこの天気だから、一晩山小屋に泊まって明日下山したらいい。うん、そうしょう。という事で山小屋によろしく言うと、先程の「よろしく」とは違って、
「いや、お年寄りの一人は、泊められない規則なんですよ。」
 そうしている間にも外は嵐の如く、爺さんは口から涎(よだれ)を垂らす。
「それじゃあ、僕が付き添って、これから降ります。」と志田が突如言う。
「それなら、一緒に行こう。」と、おれは神主部屋に向った。
「今、成り行きで、下りる事になりましたがよろしいですか。」と許可を求めると、胡麻塩頭の神主に、
「それは君等のする事じゃないんだよ。」と説(さと)された。
 山小屋に戻り、志田に言うと、
「なら、放っとけって言うんですか。」
「いや、どうしようかね。」
「もう俺は神主になりません。下ります。」
「じゃあ、あと一人位つきあってもらおうか。」
「誰も来ませんよ。」
 荷物を取りに行こうとすると、山小屋の青年がやって来て、
「今から下山する若者のグループがいるんで、一緒に連れて行ってくれるそうです。」
 志田は神主の道を辞めすに済んだ。おれは下山してもよかったかな。

 戻ると、今日は風呂の日だと言う。
 風呂の事は忘れていたのであるが、確か下の神社で、二週間に一度風呂に入りに下まで戻る。」と言われたと思うが、その話は皆忘れているようで、ここで入る事となった。
 五日間履きっぱなしだった靴下を脱ぐと踵に穴か空いている。何やら足が白くなっている。体は板のように痩せていた。
 一坪ほどの風呂場に板を立てた湯船があるが、湯気も立っていない。寒いのですぐ入ろうとしたが手桶がない。蛇口もなければどうやら湯船に浸かつて終(しま)いらしい。
 いかなる順序か、おれの一前に十人以上浸かっているので、それが皆五日だとか、十日振りなので、膝を抱えて入るような狭い湯船は恐るべき有様になっていた。
 こりゃ湯でなくて泥だ。こんな槽(ふね)の上に顔を浮かそうものなら、どうなるか知れたものではない。再び昼も夜も変らぬ着たきりの服をまた着込んだが、心地悪い。

 朝から頭がぢりぢりする。痛いわけでもなく、重いわけでもなく、山酔いとも違って、頭の奥で何かが引っかかって流れない感じがする。
 夜明け前に雨霰の如く降り注いだ賽銭を昼過ぎに数えていると手がぴりぴりしてきた。賽銭をつかむ度に針の先で刺されるように痛む。
 神社の前に学生服の団体が現れた。皆、革靴を履いている。杖など手にしていない。全員整列すると、一人が神社にやって来た。
「前で旗を上げてもよろしいでしようか。」と副団長を名乗る青年が言う。大学の応援団との事。
 旗でも凧でも、おれは全然差し支えないので了承を出すと、副団長を名乗った青年は、団員の輪に戻り、「ふれえ、ふれえ。」とやりだした。
 応援団という団体もじっくり見た事がないので、賽銭を放ったらかし、見物する事にした。
「校旗掲揚!」と発する声に、一人が大きな旗を掲げようとする。
 が、ここは不二山頂である。おれなど、月の上でないと持ち上げられそうにない大きさの旗は、猛烈な風に言う事を聞かない。顔を赤くして腹に当てたポールを腰で持ち上げようとしている。
 傍観していると、やがて彼は持ち上げた。軒(のき)より高く靡(なび)いたはすである。
 が、ポールが耐えられなかった。一瞬のうちに、ポールがぼっくり折れてしまった。
 たちまち周りの輪が小さくなり、旗を拾いにかかる。地面に落とさすに済んだようだ。輪は再び広がったが、心持ち小さい。それでも校歌を歌い終えると、副団長は礼を告げて行った。
 
 おとなしそうな米人が一人、杖を手に入ってきて、天狗の置物を指し、
「これは何か。」
 何故か外人はおれにだけ質問をしてくる。
「天狗だ。」
「天狗とは何か。」
「縁起物だ。」
「では、それを買うからお前を写真にとらせてくれ。」
「構わん。八白円だ。」
「もう少し笑ってくれないか。」
「難しいな。」とシャッターの音がする。
「これを写真と一緒にユタのおふくろに送ろうと思う。ありがとう。さようなら。」
「そうか。じゃあな。」
 横では眼鏡をかけた日本人の親爺が、「このメダルは裏に『頂上』って書いてあるのかい」とケースに人った記念メダルを手に坊主頭の見習に質問していた。
「書いてありますよ。」
「本当に?」と親爺はケースを裏から見たり、横から見たりして、
「見た事あるの? 書いてなかったら金を返してもらうからね。」「え。そんな事よく言いますね。」と咽筋(のどすじ)を立てて声が大きくなってくる。
「はあい、ここでえす。」保母さんのような声が神社の外からするのに目を向ければ、エプロンをつけた女性が後ろ歩きで手を招いている。後から後から、二十人程、水色の園児服に黄色い帽子の園児が現れた。「わあい。」などと言っているが、何だか、普通の園児に比べて憔悴(しょうすい)しているように見える。歓声を上げてはいるが、其の場からあまり動こうとしない。
 一体、どうやって登って来たのか。
 やがて保母さんの言い付けに一列になり、扉の向うに消えて行った。
 メダル騒ぎは神主が登場して、親爺と見習をなだめていた。

 寝起きしている離れを過ぎると二十坪ばかりの場所かある。生き物のけはいすらなく、消し炭色の砂礫(されき)に覆われた荒れ地である。
 御鉢めぐりの道から外れているので、ここまで来る登山客はおらず、ここに佇(たたず)むと天と地との間に己のみ、と思えてくる場所だ。三日目に見つけたのだが、休憩時間に喧騒を離れたいときなどにここへ出て休んでいる。今日は、朝食後に自由時間が貰え、おれはいつもの如く外に出た。外からタコ部屋の前を見れば、窓下の岩に蠅がいる。鳥はいないが蠅はいる。丸々太ったのが二、三匹、部屋の窓の外から捨てられた酒に群がっていた。蠅の観察は止めて、離れの横手へ廻り、礫や岩に覆われた爪先上がりの岩石砂漠を下駄で行くと、やがて行き止まる。小さい白の鳥居がいくらか傾いて立っている。傾いているのは地面の方かもしれない。その向うはすぐ火口の断崖で、色々な絵の具を交せたような色をしている。
 蝋燭のような色をしている空を自衛隊の戦闘機が竹槍で突けそうなところを飛んで行った。
 段々霧が濃くなり、辺りが白々としてきた。霧は礫の間より沸き上るように、冷たく顔に当る。
 おれは白衣黒袴で下駄を履いて鳥居の脇に立っている。頭がぢりぢりする。勤務はあと半月もある。苔も生えてないような荒地にあと半月もいて、下りる体力があるのだろうか。休憩時聞かと思えば、蒲団干せ、便所掃除しろ、何で一人だけ休んでんだ。などと十も年下の連中に騒がれて、一日十二時間も働いて神主になれるのだろうか。どうしておれはこう、実働八時聞と称しつつ、その実十二時間労働の仕事ばかりするのだろう。時給いくらなんだ。飯は食いつけないものばかり出てくるし。生き物は蝿だけ。あとは人間ばかりだ。腹は減るわ、のどは渇くわ、便秘になるわ。視力は落ちるわ。首に変なできものが出てくるわ。もう、大損だよ。大損。ああ早く帰りてえなあ。ああ、もうやめやめ。下りちまおう。ああ、頭痛い。「ああああああ!」山のくせに木霊がしないな。
「ああああああ! 」おれは四方八方に向って叫び続けた。
 おお、霧が晴れてきた。「ああああああ! 」
「ああああああ。」と下から長い声が登って来る。見れば、黄色い登山服の爺さんで、おれが黙れば声を出すのできっと木霊(こだま)のつもりなんだろう。おれも負けずに叫んでいたら、
「おい、おい、おい、おい。」と胡麻塩頭の神主が袴に下駄で駆け上ってくる。
「何しとるんだ。」とおれだけに聞くので、
「木霊らしいんで。」
「なに言っとる。もう、交代だ。」
「ちょっとおじいちゃん、何してんの。」と娘か嫁らしい女性が現れて、
「どうもすいません。」と引かれて爺さん退場する。
「行くぞ。」と言うので、
「あ、つかぬ事を伺(うかがい)いますが、これが終ればわたくしが神主になるっていう話はありますかね。」
「神主になりたけれはそれなりの学校に行くんだな。」
「ええと、仕事なんですけど、頭痛いので辞めます。」
「え。」
「ああ、頭痛い。」
「まだ一週間もたっていないじゃない。」
「ちょっと無理ですね。」
「お盆が終るまでがんばれない?」
「倒れそうです。」
「仕方ないな。」
「お世話になりました。」
 タコ部屋に戻って、白衣の下にシャッとズボンを着ていれば、着替えに時間は取られない。
 財布をズボンのポケットに入れ、上着も下着もタオルも鞄も屑箱に放り込み、金剛杖片手に駆け出した。
 鳥居をくぐって小走りに、一度滑って、その後は慎重に。
 登りに四時間かかった山道を二時間で帰ってきた。
 八合目には苔が見えた。七合目には白い花小さい花が群れ咲いていた。遠くをブルドーザーが登っていた。五合目は空気が暖かかった。蝉か鳴いている。道の脇には木々が枝を差し交わしている。
 バスに乗り込んで、ほっと息をついた。
 まだ出発まで十分あるというので、一度バスを降りて土産物屋から電話をする。
「巨勢だ。」
「ああ通じた。仕事か」
「いやこれからだが、元気か。」
「今日山を下りてさ。できたら迎えに来られないか。」
「おお、そうか。早かったな。これから秩父へ餃子を売りに行こうとしていたところだ。 よし、甲府の方から回って行ってやる。」
「ああ、 よろしく頼む。」
「三時間もかからんだろう。」
 バスに戻って席に着く。隣から「御来光は見られましたか。」と聞かれる。
「ええ、有難いものですね。」
 全く酔わずに麓に着いた。
 神社の池が湛(たた)える水の美しさは見るだけでおれに生気を与えた。さあ、還俗(げんぞく)だ。家に帰ろう。車に乗って家に帰ろう。プリンを食おう、アイスを食おう、甘くて美味しいものをいっぱい食べよう。
 一度巨勢に電話を入れたが通じなかった。神社で風呂だけ借りて、そのまま待たずに給金を手に街へ出た。アイス売りがいたので、ソフトクリームを舐めて、振り向けば不二が美しい裾野を引いていた。雄大である。山頂の星月夜は飽きなかったが、月と同様、富嶽は遠見に限る。あんな岩石沙漠にいられるのは神を祀る使命がある者だけだ。
 巨勢に電話をした。
「もう着きそうか。」電話口の向うは何やら騒がしい。
「駄目だ! 火祭にぶつかっちゃって。餃子が売れて売れて。」
 アパートの前に再び「ギョーサー」と響いたのは、日付が変わってからであった。金剛杖は巨勢にやった。


初出:早稲田文学2005年1月号


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