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君が思い出になる前に・高校最後の夏のこと(前編)

みなさんこんにちは。昨日の夜、干しいもを食べていたら歯の詰め物が取れてしまったnock3です。

先週末、単身赴任先の仙台から福島の自宅に帰る車の中、ストリーミングでスピッツのヒット曲ミックスを聴いて帰りました。『空も飛べるはず』、『ロビンソン』、『チェリー』、『楓』などを聴いて懐かしい気分で熱唱している自分がいました。

そして、ふと高校時代の記憶が甦った。


スピッツとの出会い

私がスピッツと出会ったのは、高校に入学したての頃。夜にラジオを聴くのが習慣になっていた私が楽しみにしていたのは、NHK-FMで放送していた『ミュージックスクエア』という番組。

当時は中村貴子さんという方がパーソナリティを務めいて、私が聴いていた高校3年間はずっと中村さんがパーソナリティだった。その番組の中で紹介されていたのが『ロビンソン』。同じシングルに収められた『涙がキラリ☆』とともにスマッシュヒットとなり、私はその年の秋に発売されたアルバム『ハチミツ』を迷わず買った。初回限定版の紙のカバーが付いたやつ。『ハチミツ』が良かったので、『空の飛び方』、『名前をつけてやる』などの過去のアルバムも聴くようになり、すっかりスピッツファンになった。


バンド結成

『ハチミツ』があまりに素晴らしい作品だったから誰かに勧めたいと思い、高校のクラスで隣に座っていた友人のNくんにこのアルバムを貸したところ、Nくんはこのアルバムをいたく気に入って、私以上にスピッツにハマった。そして、Nくんはそれをきっかけにギターも弾くようになった。私はバスケ部での活動が生活の中心だったので、Nくんみたいにギターで弾くほどスピッツにはハマらなかったが、好きなバンドの一つであり続けた。

高校2年生の時だったかな。昼休みに購買部で買った焼きそばパンを食べていたら、Nくんが近づいてきて唐突に

「nockくん、バンドやろうよ!」

と誘われた。それを聞いた私の頭の中では当時売っていた雑誌『BANDやろうぜ』がパッと思いう浮かんだ。

この雑誌は、バンドブームに乗って発刊されたバンドマン向けの雑誌で、表紙にはアメリカのギタリストやX JAPANなどの硬派でロックなバンドを取り上げることが多い雑誌だった。私がその時頭の中で思い浮かべた表紙はなぜか大槻ケンヂ率いる『筋肉少女帯』の写真だった。エッ、おれがバンドやるの?坊主頭なのに?そう思って少し混乱している私にNくんが続けて言った。

「スピッツのコピーバンドやろうと思っているんだけど、どう?」

ああそうか。そうだよね。Nくん、スピッツの大ファンだからな。まあ、お遊びでやるぐらいなら別に良いかな。私は「ああ、良いよ。やろうよ」なんて安請け合いしてしまった。そしてNくんはこう続けた。

「バンドの名前も決めてあるんだ。スピッツをもじって、スパッツ。」

え?何?スパッツ?マジか。。。私は誘いに応じたことをちょっと後悔したが、もうやるって言ったからには後には引けない。Nくんはボーカルとギターをやると決めてたらしく、楽器が出来ない私はドラムをやるという流れになった。後々、Nくんに私に声をかけた理由を聞いてみたら、「スピッツ好きだし、体力ありそうだから。」ということだった。それって「太ってるから君キャッチャーね!」的な選び方だよね。まあ、ドラム、楽しかったから結果オーライなんだけど。

私の他には、ギターはNくんの地元の先輩で普段はメタルなロックを弾いている技巧派のHくん。ベースは同じ高校の陸上部でサラサラなヘアーが特徴的な爽やかKくん。とりあえずこの4人で結成されたスピッツコピーバンド「スパッツ」は、ライブなどの目標もないままフラフラと活動が始まったのだった。


解散の危機?

夏休みや冬休みなど長期の休みを利用して、スパッツはダラダラと活動を続けていた。それでも少しづつ曲が演奏できるようになると、それはそれで面白く、私は個人的にもこの活動が好きになっていた。スタジオで練習した後に4人で食事をしながら音楽の話をするのも楽しかった。何曲か演奏できるようになってきたときに、誰ともなく「いつかライブをやってみたいね」という話になっていった。バンドマンの先輩でもあるHくんが居たので、やろうと思えばライブも不可能ではなかっただけに、ライブの話は徐々に現実味を帯びてきた。

しかし、高校2年生から3年生になる春休み。練習後に4人でラーメンを食べて談笑していたときに、ベースのKくんが突然「バンドを辞めたい」と言い出した。話を聞くと、高校3年生になれば受験勉強も始まるし、自分はライブに出るための練習に時間を割けないから、という理由だった。そうか。それはそうかもしれない。しかし、Nくんがいないところで私がKくんにもう少し深掘りしたところ、そもそも「スピッツの曲がそれほど好きではない」という今さら衝撃の事実を聞くことになった。さらに、ボーカルのNくんの声量があまりに小さく、かつ、そんなに歌も上手くないところにそれなりの不満を持っていたそうだ。そうか、じゃあ辞めた方が良いよね。その食事を最後にKくんはバンドを去った。もちろん、Kくんの脱退の真相はNくんには伝えなかった。NくんはKくんの脱退に驚き、落胆した。そして「もう、スパッツも解散だね。。。」なんて口走る始末。いやいや、解散も何も、遊びでやっているバンドじゃないか。新しいメンバーを探そうよ。Hくんと私はそう言ってNくんを励ましたが、正直、新メンバーのあてはなかった。

やる気をすっかりやる気を無くしたNくん。楽しくやっていたバンド活動はここで終わってしまうのだろうか。考えても仕方ない。とりあえず店を出よう。そして肩を落としたNくんをHくんと私で支えるようにラーメン屋を後にしたのだった。。。


後編につづく

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。