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最後に会ったのいつだっけ?

みなさんこんにちはnock3です。仙台に単身赴任に来てから、複数の友人と久々の再開を果たしました。仙台は私が学生時代を過ごした土地であり、また就職後も一番長い時間を過ごしている街です。第2の故郷と言っても良い場所なので、仙台近辺に友人が何人かいます。

先日、大学で同じ学部だった友人・P君とお食事しました。彼とは入学したときに苗字が一字違いということで、形式的なクラス分けで近くの席に座っていた。結局その時に周りに座っていた人たちと友人グループを形成し、卒業までお付き合いがありました。P君は1年浪人して入学したため私よりも一つ年上ですが、穏やかな性格で、音楽の趣味が私と似ていたことから仲良くなって、彼の家に行ってはベースをやっていた彼の双子の弟と三人でバンドの真似事などをして遊んでいました。当時、体育会系のバスケットボール部に所属してた私にとって、部活以外で親しく付き合っていた数少ない友人の一人です。

卒業後、P君は東京の会社に就職して数年間勤めていましたが、結婚して子どもが生まれたタイミングで仙台に働き口を見つけて戻ってきました。そして今年は私が単身赴任で仙台に住むことになったため、単身赴任が決まった時からすぐにでも会おうと約束していたのですが、結局会えたのが12月になってしまった。コロナの影響があったとは言うものの、もうちょっと早く会えれば良かったかな。P君とは卒業後も何度か会っていて、年賀状のやり取りもあったため何となくお互いの状況は把握していましたが、実際に会って話してみると様々な出来事があったようです。

会話の中で、「最後に会ったのいつだっけ?」の話になり、私は「2010年に東京で会った」と主張しましたが、彼は「2011年の震災の後に山形で会った」と主張し、意見が分かれた。エッ、山形で会った、、、全く記憶にございません。私が「山形で会った?ウソでしょ?」と言ってみたものの、彼が説明する内容は、当時の我々の状況と一致する。確かに2011年の夏から私は山形市内に家族と住んでいた。

でも、その時会って何をしたか、何を話したかについてP君に聞いてみても、彼もその時の記憶は無いと言う。えー、じゃあお互いその時に会ったことを具体的に証言できないじゃないか。。。

そんな感じで、「最後に会ったのいつだっけ?」の結論は有耶無耶のままに終わりました。


まあ、そんな細かいことはそれほど重要じゃない。最後がいつであろうと、こうして再会できたことを素直に喜びたい。そしてP君と久しぶりに音楽の話をして、また一緒にギターでセッションする約束をしました。せっかくなので課題曲を決めようと話していたところ、P君から、彼が今ハマっているというバンド・GRAPEVINEの曲が候補に挙げられた。私も学生当時に好きでよく聴いていたので、即、賛同。まずは彼らのヒット曲『スロウ』と『光について』を課題曲にしました。昨日、仙台から自宅に帰る途中、ストリーミングで2曲を聴きながら歌ってきましたが、どちらも今聴いても素晴らしい曲ですね。




また、今は名古屋に住んでいる同じ学部だった友人に会いに行くという長期的なプロジェクトも始動させたので、そちらもコツコツ計画を練っていきたいと思います。ちなみに名古屋の友人はサーファーなので、海でのセッションもぜひ実現させたい。


20年の時を経てお互い歳は取ったけど、P君と話している中身は学生時代とほとんど変わらない。成長してないなーと思いながらも、結局、自分という人間の本質的な部分は変わっていないという安堵を感じたのも事実。


40代の人生折り返し地点。この再開をきっかけとして、充実した人生の後半戦を送れるように、楽しみを増やしていきたいと思います。


おわり

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