記憶

記憶にございません! ; JOKERの真逆をいく理想の社会論

久々に邦画を観た。
日本で風刺映画を堂々と上映するという時代になったことがまず、喜ばしいなと思う。三谷幸喜という人は、この点において本当にすごい方だと思う。

一方で、今回のクレジットに、いつものように、「三谷幸喜作品」と強調されなかったことが、これが風刺であるとはっきりと物語っている様だなぁとも感じた。

面白可笑しくこき下ろされる”政界”

映画館に映画を見に行く人たちの中に、国会答弁をテレビで見たことがある人というのはどれほどいるものなのだろう。
作中で、くすくすと笑えた人は、そもそもが、今回の登場人物やその事件がどれを指しているかわかった人のはず。

シン・ゴジラもそう。
「どうなんですか、総理!」は、もはやおきまりのフレーズ。

政治献金、脱税、無意味な国家予算、セクハラ、不倫。
サラリーマンには手が届かないような高級なスーツに身を包んで、彼らが繰り広げる、ある意味”茶番”のようにも見えるその応酬は、実際にそれを見聞きしていないときっと描写できない。

三谷さんはどれほどこの現実を見て来たのだろう。
週刊誌のゴシップにすら書かれていない現実が、世の中にはたくさんある。
(学生の頃には、”上層部”っていうのはもっとキラキラしていて重厚なものだと信じていたものだけれど)

三権分立を説く、恩師の誠実さが眩しかった。
世を正しく導くための仕組みについて解説する教職の皆さんというのは、きっと希望に満ちていて…その実態を見て悲しむのではないかと思うとなんだか私も哀しい。

それに立ち向かうも、飲み込まれ、失意を味わうことが多いのがこの世の常。それでも、誠実さを失わずに堂々と立ち向かえば、人々の心さえも正せるというのが本作のメッセージ。
「仁を持って義を成す」とはこういうことであると、綺麗な教えを体現してくれた清々しい作品だった。

組織を変えられる日は来るのか

本作では、心を入れ替えた総理の真摯さに、周囲が変わっていく様が描かれる。
とはいえ、有力者、マスコミ、批判者ー…
どれほど誠実であろうとしても闇に引きずり戻そうという者は、多く存在する。

これは政界だけの闇ではなくて、企業でも全く同じ描写が存在する。

半沢直樹もそうだけれど、七つの会議が記憶に新しい。


自らの職位、社会的優位性を保持するために、欺瞞を塗り重ね保身に走る人間たち。一度それを手に入れたら、他人を貶めても構わないほど、手放すのが惜しくなるものなのだろうか。

誠実な人々と同じくらい、正義を見失った人間は、どこにでも存在する。
一方で、何度でも、それに立ち向かう作品が作られるくらいには、きっとその改革を望んでいる人たちは、いる。

センシティブに描写された日米関係

映画の見所の一つが、国際情勢をどう描くか。
普段スパイやディザスター系映画をよく見るけれど、各国のトップが出てきて発言するとき、どの国を出して、どんな発言をさせるかで、監督や国の意向が透けて見えるので、好んでよく対比している。

今回は、米国大統領役が登場する。
記憶を失った内閣総理大臣が、チェリーの関税低減にどう応じるかが描かれる。

今回はこの役に木村佳乃さんがアサインされた。
それがどれほどフィクションだとディスクレーマーしたところで、トランプ大統領を想起させる男性を持ってきた時点で、どこかで議論が紛糾する可能性はあって、それを避けるスタンスだったということ。

イメージとしてはシン・ゴジラのパタースン特使@石原さとみ、という感じだった。

サウスパークなどは戦争したいのだろうと思われても仕方がないくらい喧嘩を売っているけれど、まぁこんなことになっていて、おお、と思っている。


国交を描くとき、先の大戦の結果のもとに、特に敗戦国の描写はなかなかに繊細にならざるを得ない。
貿易を隠れ蓑にした冷戦は、欧州でも、米国、中国でも続いていて、表立ってそれを声高に意見できるほどには、まだ、ないのだと思う。

一方で作品の中で、関税に対する本音をそのまま米大統領へ伝えた総理に、驚きの展開が待ち受ける。
きな臭い談合などせずに、正々堂々と腹を割って、話し合えたら、いろんなことが変わるものなのにー…

そんな願いが込められているかのようだった。

幻想で終わらずにいてほしいという願望

ちょうどJOKERの直後に見に行ったこともあって。
映画というのはエンターテイメントの他に、自分では想像し得ない事態の予行練習という勉強の気持ちでも見る様にしているけれど、やっぱり、どれほど現実味がなかろうと、ハッピーエンドというのはいいなと思う。

JOKERはちょっと、もう一度見たいとは思えなかった。

何を言っても変わらない、発言権を持たなければ聞く耳を持たないのなら、どんな手を使ってもこちらを向かせるしかないー…

そんな思考回路で社会に立ち向かったのがJOKERなら、真摯さで人は変えられるという信念で立ち向かったのが本作。

一方でナレーターの言葉が刺さる。
「人は、記憶でも失わない限り、簡単には変われませんから」。
まるで、これはフィクションなのだと釘を刺すかのようだった。

エンターテイメントだから成立するのだと。
本当の世界で、そういう人が総理になることもなければ、そういう人たちが記憶を失うことだって、ましてや記憶を失わずに人が変わることなど、ないのだからとー…ある種の絶望を口にしているあたりが、とても現実的だ。

それでもこの作品が公開されたのは、それを見に行く人々がいるのは、どこかでこれが叶ってほしいと望むからであると、どうか信じたいものだ。

首相の息子が、変貌を遂げた父へ告げる。
「僕も、将来、総理大臣になりたい」ー…
この国において、将来なりたい職業ランキングで、政治家はYouTuberよりも下だ。

記憶を失わなくても、本当は人は変われるはずで。
総理でなくとも、こういう、まっすぐな生き方を選べる人が増えたら、コミュニティは変わっていけるのかもと思わせていただけた。

学校の政治の授業とかでも流しても良さそう。

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