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落ちこぼれが勉強するべき科目

久々に友人と電話をしていたら、驚愕の事実が判明した。

「俺、先月から家庭教師やってる」

嘘だろおい、お前高校生活3年間で50日しか授業受けてないじゃないか。大学もパチンコ学部スロット学科だろ?

友人の名誉のために補足すると、彼は中学時代まで勉強しなくてもテストで90点くらい軽く取れてたらしい。現在は高校・大学時代の不勉強を悔い改め、仕事をしながら通信制の大学院で学び直している。

話の顛末はどうやらこういうことだ。友人は中学生にバドミントンを教えており、その中に成績が学年ビリの子がいるので、これじゃいかんと思い無償で家庭教師をすることになった。

そんな彼がハッとすることを言っていた。

「あいつは勉強ができない以前に、日本語が読めてない。」

詳しく聞いていくと、日本語の論理構造を理解していないから教科書を読んでも参考書を読んでも理解できずに、結果勉強が苦手になってしまう。

実際友人がバドミントンを教えていても、教え子はいまいち理解度が浅いらしく、どうしても力任せのプレーになってしまうそうだ。

僕は教育の分野は全くの門外漢だが、彼の言っていることがなんとなく腑に落ちる経験がある。

曖昧が故に難しい日本語

大学生の頃、僕は知り合いに頼まれて落ちこぼれ男子中学生の家庭教師をしていた。彼は勉強しないタイプではなく、勉強に付いていけないタイプの落ちこぼれだった。宿題はちゃんと提出し真面目に授業を受けているのに、テストの点数はいつも20点くらいだった。

チャランポランな大学生だった僕でも、一応頼まれたからには成績を伸ばしてあげたいと思い色々試した。丸暗記戦法、リズム戦法、当時流行っていたドラゴン桜の真似をしてみたりもした。
あれこれ試したが、ふと「そもそもこいつ、ちゃんと問題文を理解できてないんじゃないか?」と思い、彼にこんな感じの問題を出してみた。

1.  お餅を食べた昇くんと祐介くんは山に登った。
2. お餅を食べた昇くんは祐介くんと山に登った。

Q1 祐介くんがお餅を食べたのはどちらでしょう?
Q2 二つの文章をわかりやすくするために読点をいれなさい。

彼は問題文の前で固まってしまい、「わからない。。。」と消え入りそうな声で言った。僕は絶望してしまった。何から教えればいいんだと。

結局ほとんどなんの成果もあげられないまま1年後に家庭教師をやめたが、今日友達と電話をして、僕はあの時何をすべきだったのか、少しわかった気がした。

国語、英語、母語

どうやらドイツには英語、国語の他に母語と言う科目があるらしい。
「母語って国語じゃないの?」と純ドメスティック山形育ちの僕は思ったが、よく考えればドイツにはトルコ系ドイツ人や中華系アメリカ人など、様々な背景を持つ人が同じ国に住んでいる。
確かにシンガポールでは中華系は中国語、マレー系はマレー語を学校で履修すると聞いたことがある。

僕に置き換えれば、中学校で英語、国語の他に山形弁の授業があるみたいなものか?

<問題>
Aさん : 「け」  
Bさん : 「く」 

問1. これを標準日本語に翻訳しなさい。

模範回答    
Aさん:「召し上がってください。」
Bさん:「いただきます。」

みたいな。

友達に日本の国語カリキュラムとドイツの母語カリキュラムの違いを聞くと、「ドイツの母語は、構造を知り、アウトプット前提で、話し合いやプレゼン、論文までカリキュラムに組まれとる。日本の国語は読むと書くだけ」とのことだ。

つまり、日本の国語はボキャブラリー・リーディング・ライティングだけだが、ドイツの母語はそれプラス、グラマー・リスニング・スピーキング・ディスカッションが含まれている。

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©︎社会人・大学生のための言語技術トレーニング 三森ゆりか著 大修館書店

勉強ができない原因を探る

僕が教えていた落ちこぼれの彼も、「先生の言っていることがわからない」とこぼしていた。

当時は勉強の基礎がないからだろうと思って小学生用のドリルからやらせていたが、その前に日本語の構造を教えていたら彼の成績はもっと良くなっていたのかもしれない。

日本では幼少期に絵本の読み聞かせをすることが日本語を理解する為に非常に重要だと言われているが、勉強が苦手な子供ほど幼少期に絵本を読んでもらった時間が少ないという統計があるそうだ。(まぁそもそも家庭環境と収入と学歴は相関関係にあるからなんとも言えないが。。。)

で、自分に置き換えて考えると皆さんもお気付きの通り、僕も日本語が全然読めてないし、書けてないし、喋れてない。いつも「んだねっす〜」しか言っていない気がする。

いつだか役所から送られてきた書類を何度繰り返し読んでも意味がわからなくて、「これだからお役所仕事は!」とプリプリしながら賢い友人に「これ意味わかんなくね?」と聞いたら、「あぁこれはこっちから申請しないと始まらないって事だね」と一瞬で解読してしまった。

プンスカしてた僕がただのアホだった事が明るみになった訳だが、こういう日本語能力の差が人々の実生活に影響している例はたくさんあると思う。

ニュアンスの違い

たとえば、この記事の最初の方でこう書いたが↓

チャランポランな大学生だった僕でも、一応頼まれたからには成績を伸ばしてあげたいと思い色々試した。

これを

僕はチャランポランな大学生だったが、頼まれたからには成績を伸ばしてあげたいと思い一応色々試した。

とか、

チャランポランな大学生だった僕は、頼まれたからには一応成績を伸ばしてあげたいと思い、色々試した。

どれも意味は一緒だ。一緒なんだけど「僕」の積極性が微妙に違う感じがする。どう違うのか今の僕にはしっかり説明ができない。書いている本人がわからないのに受け手がこの微妙なニュアンスの違いを認識してたら、絶対に誤解が生まれる。おまえ嫌々やってたのか?みたいな。

「そういう意図で発言したのではございません!」

偉い政治家の失言は発言の前後を切り取るマスコミが原因じゃなくて、発言者と受け手双方の日本語能力の差に問題があるのか?
募集と募ることの違いは俺にはわからん。

とりあえず例の友達に「面倒くさいからこの話3行で教えて」って聞いたらこう返ってきた。

・欧米諸国には母語という授業がある。
・日本にはない。
・三森ゆりかの本を読め。

雑か!

面倒くさがったが為にこの本を読む羽目になりました。
これを読んで、ちゃんとした日本語を使える日本人になろうと思います。

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