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紙一重のこだわりは0か100かであらわれる

今日も、肉を切っていた。

昨日のうちに用意していたお肉をセットして、
ボタンを押すと「シャーッ。シャーッ。」と一定のリズムで
肉のスライスが生み出されていく。

よし、500g。

でも、違かった。
素直な言葉で言うと「なんか、微妙。」

断面というか、形というか。
悩ましい範囲で「よしっ」ではなかった。
そりゃ、味は同じなんだけど

注文してくださったお客様は、初めての方で
いつものに比べれば、わかる、でも初めてだとわからないだろうくらいの違いで。

「ふぅ、、」とトレーと睨めっこして

やめよう、と決めた。
この間、約5秒ほどのこと。

それで、ちょっと手間ではあるけど別のお肉を用意してお送りさせていただいた。
私が見る中ではしっかりいいお肉だった。

夜になって、お風呂の中で振り返ってあぁここが大切なんだと感じた。

山西牧場のお肉は、安くない。
1kg5000円から。スーパーに何事もなく並んでいれば、なかなか買い手はつかないであろうお値段。

勿論、餌が違うんだとか、美味しいんだとか、言わせて貰えばキリがないけど
お客様側の「期待や信用」も含まれた値段なんだって思っている。

誰かがおいしいよって言って、注文確定を思い切ってタップしてくれたのかな
Twitterみて、それじゃあ、食べてみようかって思ってくださったのかな

と、勝手に経路に思いを馳せている(w)私としては
「ごめん、これは、出せないなぁ」と思った。

此処に於いては茨城人御用達の「しゃーあんめ」とか「いがっぺ」みたいな言葉は私にはだせない。喋れるけど。

運送業者さんを挟んだ先に「おっ!きた!」と思ってくれる人がいるなら
やっぱり自信持って「どうぞ!」と言いたいし
でも、これを送ったら「どうだったかなー、、」と案じる自分が見えたから

だからこれはうちで食べようということにした。

それで、「どうだ!」と言うお肉をお送りさせて頂いた。

これが自分がやっていて出せる小さくも大切な価値だと思う。
安心して「豚野郎の肉で行こう」と思ってもらうには、そうやって小さな葛藤と悩ましく付き合わねばならないなぁ、と感じた。

うちにはBはないよ、と伝えるためにはそういう「紙一重の苦渋」が必要だなと、
お値段の代わりに間違いないお肉を届けていかんとな。

それが、「まぁ、もういいかな」と「うぉ〜!また注文しよ!」のどちらかの出口につながっていると思うと後者を選んでもらえることに尽くすのが、こだわりってやつなんだと思う。

多くはSNSを通して売ってるから
「変なこと書かれたら怖いもんね」って言ってもらうこともあるけど
変なこと書かれるというよりは「えー、なにこれ」と思われる方がよっぽど怖い。

逆に言えば、その反応を見ることができるから、有難いのだ。
いつも怖いけど、感想を聞けるってのはありがたいことだ。

勿論、味は好みがあるから、人によってはどうしても合わないとか、あるかもしれないけど
ガッカリされるかも、と思って出したり、又はそう、思いもしなくなってしまうのは嫌だ。

豚舎の匂いは入って3分もすれば慣れるように
「まぁ、いっか」の罪悪感は手をつけたらすぐに慣れてしまう。
ダイエット何回もしてるからわかる。うんわかる。。

だから、小さな違和感を大事にしようと思ったし
自分が食べる気持ちでご用意していく

それを教えてくれたお肉は私が美味しくいただこう。

いや、あと、ちゃんとジムに行こう。


そんな、美味しいお肉!



ちょっと、いいコーヒーが好きです