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授かりものという考え方

みんなには、昔は出来ていたのに、今はもう出来なくなってしまった事がありますか。また、出来なくなってしまった事に対して、どういった感情を抱くでしょうか。悔しい。哀しい。恥ずかしい。

先日、たまたまニュースで観た言葉に、こんな考え方があるのかと深く考えさせられました。その言葉は、上皇后美智子さまのものです。美智子さまは、ご年齢やお身体の具合のこともあり以前のようにピアノが引けなくなってしまったそうです。その事に対してのお言葉がこのようなものでした。

「今までできていたことは『授かっていたもの』、それができなくなったことは『お返し』したもの」

ぼくたちが持っている能力や才能は、あくまで授かったものであり借りものだという考え方。とても素敵なお言葉だと思いました。このように考えると、自分の力を自分の為だけに使うのは違うように思えます。いつかお返しする時が来るまで、誰かの為に使いつづけなければという使命感すら感じますね。

じゃあぼくたちは、いったい何を授かっているのでしょうか。また、誰のためにそれを使えばいいのでしょうか。答えは分かりません。まだまだ探している途中です。みんなは見つけていますか。

今日、私立高校の説明会に参加しました(ぼくは学習塾の講師なので)。その会の中で、校長先生のお話がありました。先生のお話を聴いているときに、こんな形の授かり物もあるんだなとおもったのです。それは何かというと、先生の”声”です。

先生の声は、とても柔らかくて優しいものでした。とても聴き心地がよく、じぶんに語りかけられていると感じる声だったのです。相手に安心感を与えるおちついた声も、まぎれもない授かり物だと思います。

何かができるとか、人と違うものを持っているとか、そういう特別な何かでなくてもいいのかなと思います。授かり物とは、自分らしさということなんだと思いました。

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*自分のために能力を磨くことが、周り回って誰かのためになると思っています。


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