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貧乏神と福の神の話で、なんかほっとしたというか…あったかい感じがしました。

どんな話かといいますと。
じいさまとばあさまが暮らしていて、裕福ではなかった。そこに貧乏神がいました。

だんだんと、よくなってきて貧乏神はそこにいれなくなります。

もうすぐ福の神がやってきて交代のようなのです。それを知らされた貧乏神は泣きます。

おじいさんとおばあさんのところにずっといたいと泣きます。

おじいさんとおばあさんは困りました。

おじさんとおばあさんは頑張ったから良くなっていて、福の神が来ることを知ったと思います。

ついにその日が来ます。

たぶん、福の神が
「こんにちは!福の神と申しますが!」
と自信満々でやってきたと思います。

しかし、おじいさんとおばあさんは、福の神を追い出してしまいます。

福の神はびっくりして帰っていったそうです。

貧乏神は喜んで、おじいさんとおばあさんのところで暮らしたそうです。

こんな感じだったと思います。

おじいさんとおばあさんは金持ちにならなかったけど、結構しあわせにくらしたそうです。

お金としあわせどちらがいいかといわれたら迷うのかな…

お金でしあわせを買えるかもしれないですね。

しあわせになることで、お金に近づけるかもしれないです。

お金があるとあれもこれもできるとおもいます。

お金があるとしあわせになれると思いますね。

実際にはどうなのでしょうか?

どこがお金があるとなるのでしょうか?

どこがしあわせなのでしょうか?

その基準はどこなのか?

おじいさんとおばあさんは、お金はなかったけど、結構しあわせにくらしたとさ。

だそうです。

ほんとは、ここが目的地じゃないかな?と思ったりします。

おじいさんとおばあさんと貧乏神で毎日楽しく、お金はないけれど、しあわせにくらしたのでしょう。

お金としあわせはどっちが必要か?
やっぱお金ですかね…

しあわせはお金で買えますかね?

しあわせでお金になるのか?

お金があればしあわせになるのか?

まだわかりませんね…

これから追求していこうと思います。

明日から、しあわせとお金について、徹底的に追求してまいります。

譲りません。妥協もいたしません。しあわせ対お金で追求していこうと思います。

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