サッカーという木にアーセナルという幹
noteというソーシャルメディアに初めて触れ、さあこれから!という日からやや時間が経ちすぎてしまったが、初投稿した自己紹介に、ライター活動で執筆してゆきたいメインテーマとして掲げたサッカーについて、より細部を詰めるべく表面的ではあるが私がどうサッカーとアプローチして、どのようにサポーターライフを歩んで見てきたのかを、今回はご贔屓にするクラブのアーセナルを主に、サッカー記事の初歩として記したい。
世界に無数にいらっしゃるサッカーサポーターの内の一人として、独り言に近い感覚でこの記事を閲覧してもらえると。
ロマン・ヴェンゲル・アーセナル
今や毎シーズンのように進化し発展していく現代のサッカーにおいて、そのアップデートに自ら遅れをとるよう、トレンドに乗っかっていくことも控えめ。そんな君主アーセン・ヴェンゲルの下に、アーセナルの2010年代の中期からウナイ・エメリ監督交代までの末期を比喩する言葉としてここではタイトルとして勝手に用いたい。兎にも角にも自分たちの哲学を突き詰めて表現するサッカー、浪漫(ロマン)主義だ。
私が海外のサッカー、特にプレミアリーグの熱狂的な視聴者になったのが、2014-15シーズン頃になるので、いわゆるインビンシブルズの輝かしい時代や、90年代から2000年初頭のイングランドサッカーに革命とも呼ばれる現象や戦術を持ち込み、サーファギー(アレックス・ファーガソン)と共に今では群を見ない長期政権の一時代を築いたことは、過去の栄光と認知する程度。
この記事では私がサポーターになってから見たヴェンゲルアーセナルの終焉を特にフォーカスしている。
戦術としての在り方
そして私自身もいわば、そんなロマン・ヴェンゲル・アーセナルの姿に惚れた、浪漫主義を強く信仰する過激派の一人である。
古き良き4-4-2でシットディープに、いわゆるバスを止める「パークザバス」の戦術、ヴェンゲル因縁の相手であるモウリーニョがチェルシーにタイトルをもたらしたカウンターサッカー、同クラブで当時のプレミアリーグにおいては大変新鮮だった3バックシステムの採用をコンテが持ち込む等、守備をベースに現実的なサッカーで試合を優位に運ぶ戦い方。その上で、各選手がある程度の指示事を監督から与えられ、それがユニットとしてフィールド上で発揮されるチームが強い。
ぼんやりではあるがそんなイメージが私個人としてもあった中、やはりポゼッションベースに守備の構築云々で攻守分断色が強い、特に中盤から前線の選手らは存分に個の能力が尊重され、フィールド上では規律が少ない自由なポジショニング。といった特徴のチームで撃ち合いさえも拒まない攻撃的なサッカーが私は単純に好みだった。
ヴェンゲルの前任者であるジョージ・グラハムの退屈なウノ、セロ(1対0)のサッカーはお世辞にも愛されていたとは言えず、ヴェンゲルが来てからは見違えるようだったと、お馴染みの粕谷さんと野村さんのフリーク大先輩方も仰っていたぐらいだ。そう思うと一時代を築くような美しいパスサッカー、スパニッシュで言う「ティキタカ」はやはり見る人々を虜にする何かがあったのだろう。
それから「戦術」といったもののウエイトが特に重くなり、重要に分析され語られる時代、そしてそれは年々アップデートが繰り返えされ更に進む時代に入り、イングランドではペップのシティとクロップのリヴァプールのような2クラブが世界を席巻するよう、保持と非保持での4局面というワードやトランジション、ビルドアップの作りこみや配置。その他様々、今の日本でサッカーを見る際に当然のように用いられる戦術用語等は、その2強や各国のビッククラブ中心に中堅のプロビンチャクラブまで優秀な監督の下で、私たちサポーターに完全に浸透してきたと言えるだろう。
故に…?
自分が大袈裟に過激派というよう、ロマン派の型にはまるようなサポーターだなと自負する瞬間なんて実際のところ多くないしただ口語したいだけ。
しかし、そういったアイデンティティが一つ思い出せれるなら、今やチームの中心で、個人的な認識ではあるが世界でも指折りの守備的MFにも登り詰めた、トーマス・パーティが移籍してくる際の小話だ。その当時、メディアやグーナー界隈で少々白熱していた話題としてあったのが、夏のウィンドウでインサイドMFの補強候補としてパーティと共に上がっていた、当時フランスのオリンピックリヨンに所属していた同国代表のウッセム・アワール。その二人のどちらを中盤の新しい駒として迎え入れたいかだった。
記憶しているのは、アーセンからウナイにマネージャーが変わり、チームのスカッド方針的には、中盤により堅実的で強固なフィルター役となれるMFを欲していた。そんな事情の中でも、私個人的にはタイトなスペースでボールを動かして運べるような、よりクリエイティブにゲームメイクを得意とする後者のフランス代表を前者のガーナ代表より熱望していたと思うと、現実的というよりは、浪漫的な思考だったのではないかと。
仮に現実として両者のMFのどちらかの獲得を画策していたのであれば、あの時のフロントの選択は疑いようがない程、今の私たちのNo.5は素晴らしい。
ちなみに25歳となった後者の司令塔は、イタリアローマに戦いの場を移し、国籍もアルジェリアへと変更。結局リヨンはマーケットでの最善の売り時を逃すようにフリートランスファーでの放出。そしてアワール自身もキャリアにおいてリヨンでのピーク時を考慮するなら、一つのステップアップのタイミングを逃してしまったと言えるだろう。現在はモウリーニョからクラブのレジェンドでもあるデ・ロッシへと新しく監督の顔を変えたチームで、これから更に輝かしいキャリアを送るのか、また注目である。
Good Old Arsenal 「由緒正しきアーセナル」
My TeamがリーグとFAカップのダブルを果たした1971年リリースされた曲。それから43年、近年に目を向けヴェンゲル後のエメリにリュングベリ、彼らの混乱の時を経て現在に。
ヴェンゲル当時、ピッチで汗をかいていた教え子のアルテタが今ではチームのタクトを振るい、42歳若きスペイン人指揮官の信念の下、モダンで戦術的なポジショナルサッカーを落とし込み、その中で規律を大変重んじるチーム作りとモチベーターとしてのマネジメント。そんなここ数シーズンはこの曲の名にも恥じないチームへと導いてくれているではないだろうか。
彼ら(シティ)は本当に強く、隙や弱みを感じさせる瞬間など多くはない。
一度奇跡的に道でお会いしたことがあるのだが、個人的に大尊敬し大好きな英国人ジャーナリストであるベン・メイブリーさんも自身のYouTubeチャンネルにて、シティの力に関し、強さ故に良くも悪くも相手にされていない程無関心になりつつある、と現地のシティサポーター以外、他サポの生の評価や感覚をお話されていてとても興味深かった。
最後に
ここまで好き勝手つらつらと述べてきて、最後には少々現在の事に触れたが、積年の熱やそれに相当する細やかなサッカーへのアプローチを語るには時間やページがいくらあってもまだまだ足りなかった。
アーセナルを軸にイングランドサッカーに触れ、それらに枝分かれするよう各国リーグやヨーロッパコンペティション、更にはイングランド2部に相当するEFLチャンピオンシップもプレミアリーグと同様に強い関心を持って、ここまで暮らしの一部としてサッカーと歩んできた。
そうすると、サッカーを取り巻く事象として各国の文化や地理も知識の蓄えに自然となるし、ピッチ外で起こる移籍に関わることやお金の事情、そしてサッカークラブとしての在り方等様々。ここで詳細にそれらを言語化するの困難ではあるが、一つのエンターテインメントとして私個人にはサッカーというものが強く根付いて欠かせない楽しみになっている。