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«1995» (1)

(月に一度、何か書きたいなぁと思いつつ、肝心要のテーマが定まらなかったのですが、大学受験から入学初期のことを述べてゆこうと思います)


平成7年1月、成人の日の連休に開催されたセンター試験から僕の大学受験は始まった。

もともと国公立大学を受けるつもりはなかったけれど、フランス語の受験者数が減るとセンター試験の科目から除外される虞れがあるのだというフランス語の先生から半ば強制される形で、必要があろうがあるまいが、フランス語選択者は全員受験させられていた。

僕の高校では、高3の3学期は自宅で受験に備えることが許され、週に1度、火曜の朝だけ登校して点呼を取ることになっていた。

1月17日、センター後初めての登校日の朝、家を出る直前に見たニュースでは、早朝の神戸で地震があり死者3名が出た模様だと報じていた………
のちに阪神淡路大震災と呼ばれる大災害になることを知らぬまま、点呼の後、級友たちと図書館で勉強して、ビルや高速道路が壊れるような被害があったらしいことを話して帰宅したことは記憶している。

大学受験。
両親も兄もエスカレータで大学まで進んでいるので、それを経験するのは家族の中で僕が初めて。母からは、浪人するのはいいけれど、海外の大学に行くとかいう逃げをアテにするのは止めてと言われていた。端から落ちることを前提に言い渡されるのも妙なものだと思いはしたけれど、現役合格などできるものなのか、自信なんてないのも確かだった。
一方で、高3の最初には「志望校再考が望ましい」と軒並み書かれてしまった模試の成績は、2学期から急速に上がってきたという手応えもあった。塾通いは嫌いだったけれど、夏期講習や冬期講習は大教室の予備校に通ったし、渋谷にあった少人数制の塾では、日本史の先生とウマが合うというのか、先生の歴史ヲタクぶりと、僕の雑学マニアの感性とが通じる部分があったのか、割と真面目に勉強していたと思う。

ともあれ、どんな結果になっても言い訳がきかないのが受験なんだろうと思っていた。幸い体調だけは良かった。

私大受験の始まる2月になろうとしていた。

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