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少年の国

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太平洋戦争が終わり、祖国である朝鮮半島へむかった少年、金海守(きむへす)の自伝的小説パンチョッパリ完全版。
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#自伝

少年の国 第一話国民学校

第一章 戦時中の記憶 ●国民学校と戦火の中 その日、僕の足取りは少し緊張していた。国民学校(小学校)の入学式に向かっていたからだ。初めての体験はだれでも緊張する。同時にどこかわくわくする気持ちにもなるはずだ。それが、緊張感が先にくるのには理由がある。それは今日から僕の名前が変わるせいだ。 それまでは「岩田」という日本ではごく普通の名前だったが、学校では「金」と名乗るように父から命じられていた。それがなぜだか当時の僕にはわからなかった。 「お前の本当の名前は『金』という

少年の国 第29話 僕たちの再会

やがて砲声も収まり、僕は元の場所へ戻ると静かに眠りについた。初めは腹が立ったおじさんのおかげで、こうしてぐっすり眠ることができたのだった。 「おい、起きろ……。早くしたくしないと、またバスが行っちまうぞ」  おじさんの声に目を覚ますと、あたりはすっかり明るくなっていた。僕の体には薄汚れた毛布が掛けられている。 「これ、おじさんが?」 「朝方みたら、あんまりにも寒そうにしてたからな……」 「ありがとうございます!」  僕は深々と頭を下げると、慌てて毛布をたたんでおじ

少年の国 第27話 釜山の病院

 翌朝、僕はハンメの手を引いて釜山行きのバスに乗るため町に向かった。途中で龍大の家に立ち寄り、彼に理由を説明して、ハンメと一緒にバス停のある幹線道路へ向かった。  バス停でどれだけ待ったことか。やはり戦争の影響か、なかなかバスは来ない。やっと来たバスは満員だった。ガイドと思われる女性が「満員だから乗れない」とあしらうように僕とハンメを追い払おうとしてきた。僕は必死で叫んだ。 「叔父が釜山の病院にいます! 負傷兵なんです。ハンメの息子が死ぬかもしれないんです。お願いですから

少年の国 第26話 善花と善基兄さん

 翌日、龍大の家に行くと、彼は物置の前に、大きな布を広げて待っていた。布の中央に大きく「朴善基」と書いてあり、その脇には、前の日に僕が話した善基兄さんのことが、あれこれと書かれていた。 「すごい。よくこんな布があったな」 「まあな、こいつをこの竹竿に付けて、高く掲げれば目立つだろう。俺たち二人で持つんだぞ」 「さすが、龍大。これなら捜しやすい」  僕らは意気揚々と町に向かった。駅の近くには善花たちが行っているはずだから、僕らはもっと先の方に行くことにした。 線路の上

少年の国 第25話 善花の兄さん

 しかし、その翌朝、善花もつらい思いを胸に秘めていたことを知る。  僕はハンメが生活のため不自由な目で縫い上げた、数枚の子ども用のパジチョゴリ(韓国の服)を駅前の市場へ納めるため、大きな風呂敷包を抱え、再び避難民の人であふれる町へと向かっていた。そこで善花とその家族の姿を目撃したのだ。 「あれ、善花?」  思わず声を掛けようとしたが、彼女とそのアボジ、オモニの思い詰めたような表情は、何やら人を寄せ付けない雰囲気があった。僕は、彼らに見つからないようそっと後を追った。

少年の国 第23話 永吉のけが

 僕たちの「泥団子戦争」は血を見ることなく平和的に終わったが、南北の戦いはさらに続いていた。  日本での戦争は米軍機の空襲が主だったが、こちらは地上戦である。軍用トラックには武器、弾薬などが満載されている。道路が舗装されていないところでは、でこぼこ道でトラックは大きくバウンドする。すると荷物の一部が荷台から落ちてしまう。つまり、子どもたちの目の前に本物の銃弾が出現することになる。正泰の事件は、こんな環境が引き起こしたことの一つにすぎない。  子ども、とくに男の子は、こうし

少年の国 第19話 子どもたちと戦争

●子どもたちと戦争  戦争は大人の世界だけでなく、子どもたちにも容赦なく襲いかかって来る。食糧事情の悪化は食生活を脅かす。子どもたちにとっては直接の脅威だ。停電が多くなり、電灯もつかなくなった。そこで、鮫の肝臓を天日で干して油を搾る。その油を綿に染み込ませて電灯代わりに燃やすのだが、暗いし、煙がひどく天井もすぐに真っ黒になった。  そこで、龍大や永吉たちと線路の土手下にあるガソリンの油送管を狙うことにした。継ぎ手の部分をゆるめてガソリンを盗むのである。夜になると瓶を持って

少年の国 第18話 朝鮮戦争

第三章 戦争が始まった  先に述べたように、朝鮮半島には北部を支配する朝鮮民主主義人民共和国と、南部の大韓民国が樹立していた。両政府は、ソ連とアメリカの援助の下で、着々と軍備を増強していった。一九四八年末には、ソ連軍が撤退し、翌年六月には米軍も撤退した。南北の対立は激化し、韓国ではパルチザン活動も活発化していった。  そしてついに一九五〇年六月二十五日、朝鮮人民軍は宣戦布告なしに38度線を越えて大々的な攻撃を開始し、朝鮮戦争が始まった。朝鮮人民軍の戦意は旺盛で、開戦三日目

少年の国 第17話 心のふくろ

 内乱状況が進むなかで、日本からの連絡も少なくなり、僕たちの暮らしはさらに苦しくなっていった。  そんな生活にさらに追い打ちをかけるように、祖母の白内障は進行していった。祖母は家のなかではよく手探りで物を探していた。お金さえあれば、眼科医に診てもらうこともできるのだが、それも叶わない。  それにもかかわらず、僕はときにお小遣いをねだってしまう。以前、まだ少しだけ余裕のあった頃は、かわいい孫の頼みに無理をしても応えてくれたものだが、この時期になると本当にお金がないのだ。

少年の国 第16話 忍びよる戦争の足音

●忍び寄る戦争の足音  僕が自分の国に慣れるように必死になっている間、祖国も建国と分裂の道を歩み続けていた。北緯38度線の北には一九四六年に北朝鮮人民委員会が設立され、南には翌四七年にアメリカに亡命していた李承晩を中心にした南朝鮮過渡政府が設立された。  一九四八年になると、八月には大韓民国、九月には朝鮮民主主義人民共和国がそれぞれ樹立を宣言した。朝鮮半島に二つの「国家」が出現したことになる。それまでは米英軍とソ連軍との占領上の都合による境界線だった北緯38度線は、事実上

少年の国 第12話 淡い初恋

●淡い初恋  龍大との思い出と同様に、僕にとってはもう一人、忘れようとしても忘れられない人がいる。朴善花だ。  彼女と初めて出会ったのは、夕暮れの共同井戸でのことだった。  僕はハンメに言いつけられ、いつものように井戸へ水汲みにやってきた。そこで見かけない女の子と出会った。  背丈は僕と同じくらい。きれいな黒髪を後ろで束ね、透き通るような肌に目鼻立ちの整った顔。そして上品な服を着た彼女は僕が今まで見たことのない、とてもきれいな女の子だった。 「あ、あの……」  僕

少年の国 第11話 龍大との対決

芝生の種の一件から、僕はそれまで以上に猛勉強をした。韓国へ来た当時、最下位だった成績も、言葉が分かるようになった今では上位に入れるようになっていた。そうなると今まで僕をバカにしていた同級生たちの見る目も変わってくる。いつの間にか友だちも増えていたし、先生も僕のことを見直してくれるようになっていた。 「海守、お前また成績が上がったぞ。毎日頑張ってる証拠だな」  担任の先生は僕を褒めてくれた。僕はそれが嬉しくて、さらに一生懸命勉強をした。しかし、そんな僕のことを面白くない目で