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少年の国 第16話 忍びよる戦争の足音

●忍び寄る戦争の足音

 僕が自分の国に慣れるように必死になっている間、祖国も建国と分裂の道を歩み続けていた。北緯38度線の北には一九四六年に北朝鮮人民委員会が設立され、南には翌四七年にアメリカに亡命していた李承晩を中心にした南朝鮮過渡政府が設立された。

 一九四八年になると、八月には大韓民国、九月には朝鮮民主主義人民共和国がそれぞれ樹立を宣言した。朝鮮半島に二つの「国家」が出現したことになる。それまでは米英軍とソ連軍との占領上の都合による境界線だった北緯38度線は、事実上の「国境」になってしまったことになる。しかも、これは民族自身の決断と言うより、背後にあるアメリカやソ連の意思が反映されたものだった。

 先述したように、三・一独立運動は、民族に大きな波紋を起こした。もともとこの運動は、一九一九年のパリ講和会議の席上で、独立を訴える目標をもっていたため、早急に国際法上有効な代表を選出するための臨時政府を樹立する必要があった。そこで、半島の周辺各地に「臨時政府」樹立の動きがばらばらに起こってしまった。代表的なものは、上海の李承晩を大統領とする「大韓民国臨時政府」、ロシアには「大韓国民議会政府」、満州には「高麗臨時政府」があり、国内にも天道教を中心とした「大韓民間政府」「朝鮮民国臨時政府」「新韓民国臨時政府」「漢城臨時政府」などがあったという。これらは、それぞれに目指すものや、政治的背景も違っており、いくら日本が敗北したからといって、統一政府を作り出すことが困難だったのは仕方がないのかもしれない。

 また、北部を占領したソ連と南部を占領したアメリカによる信託統治を目指したそれぞれの思惑も、統一政権誕生にとって大きな妨げとなっていた。もともと北部は半島の電気の供給の過半を占めていた。北部の政権はその電気供給を南部に対しては停止する決定をし、両者の対立は深まっていった。

 これに対抗して、過渡政府は朝鮮労働党を参加させない選挙を実施して、正式国家の樹立を急ぐことにした。しかし、済州島では南朝鮮労働党の武装ゲリラが蜂起し、それを鎮圧する過程では、軍内部の反乱や住民の虐殺事件などが起こった。

 本格的な戦争が始まる前に、その予兆のような事件が起こり、僕もそれに遭遇した。そのなかでも忘れられない出来事がいくつか起こった。その一つが、四年生のときの下校の途中でのことである。子どもたちが集まって、どうやら見せ物が出ているらしいという話をしていた。

 校舎から出て来た龍大と永吉に話すと、たちまち「行こう、行こう」ということになった。歩いて五分くらいの大通りの真ん中には、大勢の大人が集まって人垣を作っていた。永吉がその間をすり抜けるようにして奥へ入って行った。しかし、すぐに戻ってくると、

「首だ、首だ!」

 そう言いながら、顔をひきつらせていた。

「首?」

 今度は龍大が人垣に潜り込む。僕もそれに続いた。やがて人垣の先頭にたどり着いた僕たちは、思わずその場で震え上がった。

 僕たちの目に飛び込んできたもの、それはテーブルの上に無造作に置かれた、男の人の生首だったのだ。

 周囲には、拳銃や手榴弾などが置かれてあり、生首を入れてある大きなガラスの容器は、アルコールらしき液体で満たされていた。顔はどす黒く変色しており、目はつぶったままで、髪の毛も髭も長く伸びていた。僕たちはあまりの衝撃にただ呆然と立ち尽くしていた。 やがて集まった大人たちがざわつきだした。それを制するように、テーブルの脇に立っていた軍服姿の男が、声を張り上げた。

「この男は共産主義者である。これまで各地でゲリラ活動をしており、多くの同胞を殺した。これを見てほしい。この手榴弾を爆発させれば、すぐにここに集まった諸君は木っ端微塵になる。彼が持っていた武器を使えば、数十人の死傷者が出てしまうのだ!」

 男の演説は続いた。罪状が延々と語られているようだったが、要するに見せしめのために、いろいろな場所を巡回して生首を見せて歩いている様子だった。

 僕と龍大はしばらくの間、男の話を聞いていたが、やがて胸のあたりがムカムカしはじめ、大慌てで人垣の外へ出た。

「見たか? 見たか?」

 外では永吉が興奮しながら叫んでいた。僕たちは小さくうなずくと、逃げるようにその場から離れ、ひたすら無言で歩き続けた。

 その頃、こうしたゲリラ活動が頻発していることは確かだったし、それと戦う政府軍の攻撃は執拗なものだった。

 どうやって連絡を取り合うのか分からないが、こうした「ゲリラ」が主導して、生活難の人たちを集めてデモを起こす。すると、政府の役人は、その人たちに農地を分配するからと懐柔し、一ヵ所に集めてトラックに乗せる。その後、彼らは行方不明になってしまう。どこかで処刑されたというのが、大人たちの噂だった。

 僕の遠い親戚にあたる叔父もその一人で、デモに参加したとき、役人に騙され、トラックでどこかへ連れ去られてしまった。しばらくは消息が不明だったが、ようやく戻って来た叔父は、後にゲリラ活動に参加、警察の追及を逃れるために、昼間は友人の家に隠れ、夜になると自宅に戻って眠る生活をしていた。

 その行き帰りも道路に出ず、近くの竹藪を通るようにしている。その竹藪は僕らもよく通るし、竹トンボを作るときの材料を切り出すところだ。そこで、僕はその叔父に出会った。

「叔父さん!」と声をかけると、叔父は一瞬慌てていたが、僕であることが分かると、ほっとした様子だった。

「海守じゃないか。どうしたんだ、こんなところで」

「叔父さんこそ。ここに隠れているの?」

「そうだ。ここは目立つから、こっちにおいで」

 叔父は藪の奥へ入っていった。後をついて行くと、小さく窪んだ場所があり、周囲の目から逃れられるようになっていた。そこに腰を下ろすと、妙に落ち着いた気分になった。「ここが叔父さんの『陣地』なんだね」

 僕の言葉に、叔父は照れくさそうに笑った。そこで僕はずっと思っていた疑問を叔父にぶつけてみた。

「叔父さん、共産主義って悪い人なの?」

 叔父はムッと怖い顔で僕を見た。

「何でそんなこと聞くんだ?」

「この間、変なものを見たんだ。人間の生首を見せ物にしていた。そこで、兵隊さんが言ってたんだけど、こいつは共産主義の『アカ』だって。叔父さんも『赤い人』なんでしょ?」

「赤い人? いや、そんなふうに言われたのは初めてだな。でもな、赤い人は決して悪者なんかじゃないぞ。この民族全体の幸せを真剣に考えて、腐敗した今の政治を変えようとしている人たちなんだ」 叔父の目は真剣だった。

「何だか難しい……」

「そうだな、海守にはまだ無理かもな。でも叔父さんたちは悪いことをしてるんじゃない、そのことだけは覚えていてくれな。それから、ここで叔父さんと会ったことは黙っていてくれよ、お前のハンメにもな」

 僕がうなずくと、叔父さんは優しく頭を撫でてくれた。しかしその目はなぜかギラギラしていてとても怖かった。

 もう一つは、麗水事件に関係する話だ。この事件には、祖母の弟夫妻が巻き込まれ、祖母を頼って避難してきた。その話によれば、この事件は陸軍連隊の副司令官が起こしたもので、警察署を占領し、高校生の一部まで銃をとって政府軍と戦っていたという。

 政府軍は、動くものならすべて銃撃の対象にしていて、危険極まりない。やむなく、庭の隅に塹壕を掘り、昼間はその中に隠れているしかなかった。政府軍は家を一軒一軒しらみつぶしに捜索しており、すさまじい討伐作戦だったという。祖母の弟夫妻も身の危険を感じながら、必死の逃亡を敢行したのだった。

 この夫婦には、男の子が一人おり、僕より二歳年上だった。この勝一が、僕にとっては、頼りになる兄貴のような存在となってくれた。

 勝一は慣れていくに従い、僕たち三人組の「ガキ大将」として、いろいろな遊びの主導権を握ることになった。僕は「勝一兄さん」と慕い、学校から帰るといつも後ろを追いかけていた。

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