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少年の国

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太平洋戦争が終わり、祖国である朝鮮半島へむかった少年、金海守(きむへす)の自伝的小説パンチョッパリ完全版。
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#戦争

少年の国 第一話国民学校

第一章 戦時中の記憶 ●国民学校と戦火の中 その日、僕の足取りは少し緊張していた。国民学校(小学校)の入学式に向かっていたからだ。初めての体験はだれでも緊張する。同時にどこかわくわくする気持ちにもなるはずだ。それが、緊張感が先にくるのには理由がある。それは今日から僕の名前が変わるせいだ。 それまでは「岩田」という日本ではごく普通の名前だったが、学校では「金」と名乗るように父から命じられていた。それがなぜだか当時の僕にはわからなかった。 「お前の本当の名前は『金』という

少年の国 第8話 パンチョッパリ

アボジも、ハンメも、子どものことだから学校へ行っていればすぐに朝鮮語も覚えるだろう、と考えていたようだ。ところがそんなに簡単にはいかない。第一に小学校は朝鮮語を教える所ではなく、朝鮮語で何かを教えるところなのだ。  当然ながら、授業を聞いても何も分からないし、教科書もまるで記号が書き連ねてあるようで、まったく読めない。生徒はもちろん先生も、僕にお構いなしに朝鮮語で話しつづける。アボジは「日本語を話せる先生もいるから」と言っていたが、「解放」後の反日感情が強いせいか、意図的に

少年の国 第7話 アボジとハンメ

 父の買った田圃はすでに収穫が終わっていたが、かなりの広さだった。 「海守、来年になったらお前もこの田圃を手伝うんだぞ」  父は何だか妙に張り切っていた。以前、水害で家の田圃を失い、それから十五年ぶりくらいで、自前の田圃を取り戻した、しかも自分の力でそれを成し遂げたのだから、感慨深いものがあったのだろう。  同時に高揚感もあったろうし、毎晩嬉しそうに酒を飲んでいた。日本にいれば、母が文句を言ったのかもしれないが、ここには誰も止める人もいない。ついつい、飲み過ぎては大きな

少年の国 第6話 祖国での洗礼

 第二章 祖国での暮らし ●いきなりの「洗礼」  こうしてたどり着いた釜山港で、僕たちは「祖国」に痛烈な洗礼を浴びせられた。  荷物を岸壁に下ろすと、父は一人でその場を離れた。「トラックを手配してくる」と言い残していた。僕は残された祖母や叔父と一緒に岸壁で待つことにした。まず、大事なお金の入った布団を中心にし、僕はその上に乗った。それを祖母や叔父が取り囲むように座り込み、小さめの荷物を各自の前に置いた。 改めて布団の上から眺めてみると、よくぞこんなに運んで来たものだと思

少年の国 第5話祖国への旅立ち

●敗戦までの道のり  僕が生まれて間もなく始まった戦争は、緒戦こそ真珠湾攻撃の成功、南方への進出など快進撃が続いたものの、翌年六月にはミッドウェー海戦での敗北、十二月になるとガダルカナル島からの撤退など重要な戦闘局面での敗北が続いていた。  さらにこの物語が始まった頃には敗戦への坂道を転げ落ちるような状況だった。 1945年三月になると、東京の大空襲をはじめ各主要都市が空襲で壊滅的な打撃を受けた。十三日は名古屋、翌十四日には大阪、十七日には神戸が大々的な空襲を受けている

少年の国 第4話戦時下の暮らし

●戦時下の暮らし  戦争の推移は、今では誰でも知っているように、日本の敗色がどんどん濃くなっていった。もともと無謀な戦争である。人々の暮らしも当然のように苦しくなっていく。とくに食糧の確保は一番の問題だった。  その点、わが家は他の人々より恵まれていたようだ。詳しい経緯は分からないが、父は時にどこからか牛を丸ごと一頭手に入れてきて、近くの山の中で処理し、それを売っていた記憶があるからだ。そんな時の父は上機嫌で、僕にも「食べろ、食べろ」と肉を分けてくれる。母もにこにこしてい

少年の国 第三話 朝鮮から日本へ…

●第三話 朝鮮から日本へ…  僕が生まれて間もなく戦争がはじまったのだから、子ども心には戦争が普通のことになってしまっている。 それ以外の楽しい思い出なんかほとんどないのが当たり前だが、ただ唯一、楽しかったことがある、それは映画に連れて行ってもらったことだ。誰に連れて行ってもらったのか正直覚えていないが、映画館の暗がりと、スクリーンの脇に弁士がいて、小気味よいテンポで映画の内容を説明していた事だけ覚えている。  多少歴史を調べてみると、昭和十年代になると、無声映画は姿を