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「コーチングハンドブック」 他者を支援されている全ての方へ:第1部 コーチングの基礎 第4章 自己同一化

NLPで最高の能力が目覚める コーチングハンドブック 知識と経験を最大化するセンスの磨き方 山崎 啓支 (著) を読み、私の感じたままを記載していきます。

今回は、第1部 コーチングの基礎 第4章 自己同一化 です。

第4章 自己同一化

この本では、「意識」「無意識」「プログラム」について、何度も、見方を変え、表現を変え書かれています。

「意識」「無意識」「プログラム」は、別物であること。
そして、プログラムが意識を乗っ取って意識を動かしている状態のことを、この章のタイトルとなっている、”自己同一化” と呼んでいます。
自己同一化とは、「プログラムが自分(意識)だ」と思い込むことです。

私たちは、ほとんどの場合プログラムというフィルターを通して、物事を見ています。
プログラムは、無意識が産み出すもので、自分の安全や安心を守るために記憶され、一般化されています。

そのため、自己同一化している状態、つまり、プログラムというフィルターを通して、物事を見ているままだと、自分の安全や安心を守るために記憶された状態である思い込みから脱却することができなくなります

それに対して、”自己同一化"の状態から脱却し、自分(意識)がプログラムから自由になった状態のことを、”脱同一化”と呼びます。
”脱同一化”している場合は、プログラムと自分(意識)を分けることができます。

無意識は、自分(意識)とプログラムが自己同一化している時には、プログラム通りの身体の身体反応を示させ、私たちはプログラムによって示された思い込みを事実と感じます。
逆に、無意識は、自分(意識)とプログラムが分けられ、脱同一化している時には、プログラムに影響を受けない身体反応(ニュートラルな身体反応)を示させ、最高の力(潜在力)を発揮させます。

無意識は、自分(意識)が作り出す方向性に力を与えるエネルギー源ですから、自己同一化している場合は、そのエネルギーを思い込みに使ってしまっています
そして、その思い込みに使ってしまっているエネルギーを無駄にしないで使うことが、最高の力(潜在力)を発揮することにつながります。

脱同一化、つまり、プログラムと自分(意識)をわけて考えることが、最高の力(潜在力)を発揮するためには、非常に重要なことになります。

私がメモをしておきたいところを、以下に引用させていただきました。

「自分(意識)=プログラム」だと思い込むことを「自己同一化」と言います。(Page92)
・気づいていないプログラム(観念など)のことを、本書では「透明なプログラム」と呼びます。これらのプログラムは、気づくだけでも緩和しますが、さらに、受け入れることができれば解消するのです。(Page94)
・「プログラム」と「自分」を分けることを 脱同一化 と言います。(Page96)
プログラムに気づいていない場合は解消しようというという発想すらありません。(Page97)
いつでも問題はありのままの出来事を体験している自分の方にあるのです。しかも、自分自身(意識)ではなく、出来事に被せているフィルター(プログラム)にあるのです。(Page101)
身体感覚が出来事の価値を決める尺度となっているのです。(Page101)
・人間は「考えたもの=頭(意識)」よりも「感じたもの=身体(無意識)」の方にリアリティー(現実感)を感じるのです。(Page102)
・①無意識はあなた(意識)がプログラムと同一化している時には、プログラム通りの身体反応を作り出す。
②無意識はあなた(意識)がプログラムに同一化していない時には、プログラムに影響を受けない身体反応(ニュートラルな身体反応)を作り出す。(Page106)
・無意識はあなたに方向性を与えるものではないのです。無意識は、あなた(意識)が作り出す方向性に力を与えるエネルギー源なのです。(Page107)
「無意識そのもの」と「無意識が産み出すプログラム」は別物なのです。(Page107)
・最高の力(潜在力)を発揮する前提条件の1つは、あなた(意識)がプログラムから自由になることなのです。プログラムから脱するためには、プログラムを理解しなければなりません。その第一歩は「プログラム」と「あなた(意識)」を分けて考えることことなのです。(Page107)

私が気がついたこと、実践していること

「意識」「プログラム」「無意識」が別物であり、それを理解することにより、プログラムに影響を受けない身体反応(ニュートラルな身体反応)の状態をつくりだすことの重要さに気がつきました。

プログラムは、無意識が産み出すもので、自分の安全や安心を守るために記憶され、一般化されているものです。
例えば、幼い時に、犬に対して怖い思いをしてしまうと、それを一般化して、すべての犬は怖いと感じてしまいます。
幼い時には、怖かったことが、修正されず、今の自分にもそのままプログラムとして存在しています。

そして、無意識(身体)は、自分(意識)が認識したとおりに反応します。
自分(意識)とプログラムが同一化している状態では、犬は怖いというプログラムが自分(意識)と一緒になっていますので、無意識(身体)は、怖いという反応をしめすことになります。

このことを理解することができると、自分自身、過剰な反応が少し減ってきました。
いままで、無意識に感じていた感情は、どのようなプログラム、私の場合、自分の中にいる小人と表現している小人がいるのかに気づくことにより、今まで無意識に反応をしていたことが、今までとちがった反応をとることができるようになりました。
自分の中にいる小人と自分自身が会話することができるようにになりましたので、自分自身を客観的に見ることができるようになり、おだやかに対応をすることもできるようになりました。

プログラムを考える上で注意している点がございます。
それは、プログラムの中に、こうあるべきとか、こうならねばらない、という思考の要素は含まれてはいますが、思考とプログラムは区別する必要があると言うことです。
思考そのもの、考えると言う行為そのものと、プログラムというのは別だということです。
これを別に考えていないと、考えることが悪であり、考えることが苦しみを生み出す、何も考えない方がいいんだ という極端な方向に行ってしまうからです。

"考える" ことと "悩んで苦しむ" が違うということも含め、今後、じっくり、考えて行きたいと思います。

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