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人に夢を与えることが天職だった男

アメリカはメジャーリーグの2020年殿堂入り選手が発表され、文句なしで選出された選手が、そう、The Captainことデレク・ジーター(Derek Jeter)その人である。

名門New York Yankeesの歴史の中でも、あの野球の神様ベーブ・ルースに(Babe Ruth)に並んで、いや、もしかしたらそれ以上に愛された選手かもしれない。

僕が10歳でNYに移住をした夏、これから立派なNew Yorkerになるんだぞと父の同僚が連れて行ってくれたYankee Stadium。初めてのMLB観戦。インターネットも衛生放送もまだ日常の中になかった当時、ヤンキースの選手を誰一人として知らず、誰が一番有名なの?と聞いたら、

そんなのデレク・ジーターに決まってるじゃないか。             あのショートを守ってる背番号2番の選手だよ。

当時はヤンキースの黄金期で、野手陣にはバーニー・ウィリアムズやホルヘ・ポサダ、ジェイソン・ジアンビがいたかと思えば、投手陣にはロジャー・クレメンスにアンディ・ペティット、抑えはマリアノ・リベラと錚々たるメンバーがいた中で、即答で最初に名前が出てきたジーター。

その凄さを知る由もなく、10歳の僕はジーターという名前を胸に刻んで、ヤンキースファンとしての一歩を踏み出した。

夏が開け学校生活が始まり、英語がわからない中での悪戦苦闘の日々が始まった。そしてある日、アメリカに於けるAfrican Americanの歴史を学ぶ授業の一環で、図書館で一冊African Americanの偉人の伝記を選び、読書感想文を書くという課題が与えられた。誰を選んだらいいかまったく検討もつかず途方に暮れていると、担任の先生が、お前にとっておきの一冊をあげよう、と手渡してくれたのがデレク・ジーターの伝記。

まだ現役バリバリの選手なのにもう伝記があるんだ・・・と驚くと同時に、African Americanの偉人の伝記を読むんじゃなかったっけ?と疑問が浮かぶ。まあ、先生が選んでくれたんだし、ラッキーと無邪気に思いながら読み始めると、彼がAfrican Americanの父親とCaucasian(所謂白人)の母親との間に生まれているという事実がわかる。そして、それ故に幼少期はOreo(アメリカで人気の黒いクッキーの間に白いクリームが挟まったお菓子)と呼ばれいじめられていた過去も知る。幼い頃から祖母の影響を受けてヤンキースファンとして育ち、ヤンキースでプレーすることを夢見て、高校卒業時にドラフト1巡目でヤンキースの指名を勝ち取ったジーター。そんな彼は、一番大きな目標のハードルを設定したら、一つずつ着実に越えていけるような小さなハードルをその手前にいくつも置いて、越えていく努力を続ける、そしてその先に一番飛び越えたいハードルが見えてくる。という思考でスターダムへと駆け上がったことを知り、英語でコミュニケーションを取るのにも苦労をしていた僕はどんな苦難も一つずつ越えていけばいいんだと、とても勇気をもらったことを今でも覚えている。

常に全力プレーを怠らず、走攻守すべての面において秀でているのみならず、華があり、人格者でもあって、キャプテンとしてチームを引っ張り続けたジーター。移籍が当たり前のメジャーリーグに於いて一つのフランチャイズで選手生涯を終えることがほとんどないのが常識の中、常にヤンキースのショートを守り続け、プレーオフやワールドシリーズのように重圧のかかる場面ほど活躍をする。

通算3000安打を本拠地ヤンキースタジアムでホームランを打って決めたかと思えば、現役引退最後の本拠地の試合ではサヨナラの場面で回ってきた打席で初球を叩いて、代名詞でもある逆方向へのヒットで試合を決める。

野球の神様にどこまでも愛され、台本の筋書きは常に彼をスターにする。

"Derek Jeter, where fantasy becomes reality!!!"

実況が思わずそう叫ぶ、夢物語をことごとく実現してきた男。

今もMLBのグラウンドには、ジーターに憧れて野球を始めた選手が何人も立っている。


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