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大坂なおみさんが教えてくれた大切なこと:先入観の怖さ

テニスのトップ選手、大坂なおみさんが現在開催中の全仏オープンを棄権することを表明した。

発端は今回の全仏オープンに出場するに当たり、精神的な負担を理由に試合後の記者会見を開催しないことを宣言したこと。それに対して協会を始めとして周辺関係者から賛否両論様々な声が上がり、結果的に第一戦終了後に大坂選手に対して罰金と今後も会見拒否を続けるようであれば強制的に棄権することを求めると主催者側が表明するに至った。
想定以上に自身の発言が物議を醸してしまったこと、コート外の話題が他の選手の集中を削いでしまうことを不本意として、自ら棄権することを彼女は選んだ。

この一連の流れを受けて、改めて大坂なおみさんの最初のツイートを見てみると、アスリートを代表した語り口ではあるものの、試合後の記者会見で彼女が精神的苦痛を受けていたことは明確であるし、実際の過去の会見の映像を見てみても、彼女が心地よさを感じていないのは言うまでもない。

一人の人がここまでわかりやすくSOSを発信していたのに、やれ罰金だ、失格だ、アスリートとしての義務だと、彼女を救うどころか寄ってたかって追い込むことになってしまったのはなぜだろうか?

彼女がテニス界の頂点に昇りつめたチャンピオンだから?
試合中もあらゆるストレスと戦いながら勝ち続ける姿を見せていたから?
コートの外でも社会に向けて強くメッセージを発信する人だったから?

世間が見て何かを成し遂げている人に対して、周囲で輝いて見える人に対して僕たちは無意識のうちに

目立つことになれている
批判をもろともしない強い意志がある
強い精神力があるからこそ成果を残している

など、常人とは違う強い心を持っているという先入観を持ってしまっているように思う。

今回の一件を通して改めて、輝いて見える人たちほど、多くのプレッシャーを受け止めていて、明るく元気で輝いていて欲しいという周囲の期待に応えようと自分自身にプレッシャーをかけ、人一倍弱さを見せることに抵抗を感じているはずだということを気づかされた。

彼らだって僕たちと何も変わらない一人の人だということ。
人より何かに秀でているからという理由だけで、人よりも我慢をしないといけない理由にはならないということ。

人が弱さを見せたときには、それがどんなとき、どんなシチュエーションであっても、義務や責任を語る前に、まずその声を聞いてあげられる、そんな社会が安心安全な社会だということ。
その為に、一人ひとりの人が”聴く”という行為をもっと能動的に出来るように、その一歩は自分から始めることが出来るということ。

そんな大事なことを教えてくれた今回の大坂なおみさんの勇気ある行動に感謝をすると同時に、彼女が大好きなコートに安心して戻ってこられる人が一日も早くくることを願ってやまない。

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