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何を教えているのか。

ヒドゥンカリキュラム、という言葉があります。
先生が教えていると思っていることと、生徒たちが学び取っていくことには違いがあり、大人たちはそのことになかなか気づけません。実際に相手に伝わっていることは、隠れていて気づけないことが多いのです。

絶賛公開中のこの動画は本当にわかりやすいものです。
日本中の小学生が、これで学べば、点数が取れるようになると思います。
わかるように教えてもらえない子どもたちにとって、
これはバイブルになると思います。

そうなのだけれど、この動画で子どもたちは何が学べているのでしょうか?

その問題提起を友人の小出陽子さんがしてくださいました。
以下、小出さんのFacebook の投稿です(冒頭の写真も小出さんの投稿からです)。

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時と場合によって、公式に当てはめて手っ取り早く解くことが、子どもにとって「必要」なことは多々あります。
しかしそれを「最適な学び」と安易に言ってしまっていいものでしょうか。
記事に埋め込まれている「速さ」の授業を見てください。
この15分の動画で子どもが「学んだこと」はなんでしょうか?
わたしは、
 「勉強とは理解するものではなく解き方を覚えるものである」
ということだと思います。
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そもそも、算数は何のために学ぶのか、ということが、
ここでは問われているように思います。

まず、学習指導要領解説を見てみましょう。

算数科の学習における「数学的な見方・考え方」については「事象を数量や図形及びそれらの関係などに着目して捉え,根拠を基に筋道を立てて考え,統合的・発展的に考えること」であると考えられる。

と書いてあります。
動画を見た子どもたちにとって、
ここでいう「根拠」は何になるでしょうか。

道のり、速さ、時間の関係をわかりやすく図示した公式、
ここでいう「ドラえもんの鈴」になっているのではないでしょうか。

なぜ、公式になるのか、についての解説はこの動画にはありません。
この公式を覚えればいいんだよ。間違えないように、ひっかからないように、当てはめれば簡単だよ、と教えています。

子どもたちは答えを出すことができるようになります。
宿題が正解になり、テストでは点数が取れて、ほめてもらえます。

今の日本の学校教育において、それは大切なこととされています。

ただ、これは、
 「主体的な学び」でしょうか。
 「対話的な学び」でしょうか。
 「深い学び」でしょうか。

「いえいえ、違いますけれど、これからの新しい教育において、
こういう公式にあてはめてとく問題はドリルやパソコンでさっさと済ませ、空いた時間を『主体的で対話的で深い学び』を実現する時間にするのです」

という声が聞こえてきそうです。

でも、こういう学習をしていたら、
勉強は暗記やドリル学習のことで、深い学びとは別物、
という感覚が自然に身について、
生涯を通して学んでいくという際に却ってマイナスになりませんか?

面倒なこと、考えること、はしなくていい、と思うようになりませんか。
早く答えを教えて下さい、ということになりませんか。

この15分で子どもたちにつく力は、
「確かな学力」「生きる力」「未来を切り拓く力」でしょうか。
「点数を取れる学力」「受験で生き延びるテクニック」「就職を有利にする力」ではないでしょうか。

一方で、評価される学力、暗記テストに対応するためのドリルを「便宜的に」やりつつ、一方で「主体的で対話的な深い学び」をやる、という矛盾に対して、割り切ることのできない子どもはどうなるのでしょうか。それを割り切ることができることが「賢い」「大人」になることでしょうか。

これは、本当に、学習指導要領の言う
「確かな学力」「生きる力」「未来を切り拓く力」なのでしょうか。

小出さんは続けます

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ちなみにわたしだったら同じ「15分」という時間があたえられたならば、

子どもに自分自身の経験を思い出してもらい、
「同じ速さで倍の時間歩けば、倍の時間進む」という
速さ・道のり・距離の比例・反比例関係を
「すでに自分は知っているんだ」ということを確認します
 
そして、「秒速」や「分速」の言葉の意味を確認します。
その「関係」を分数の形で表すことによって
「目」で確認しながら考えることを教えます。

(これは)5年生で既習の「等しい分数」の学習の利用になります。 

また、「ひっかけ問題」について次回解説すると動画では言っておられますが、「ひっかけ問題」などありません。

理解しているかどうか、ではないでしょうか。
理解を伴わない方法で教えると、次々と
 「こういう問題はこういうふうに解く」
と教え続けないといけないんです。
子どもはそれを覚え続けないといけないです。

私は、「今日の宿題」を提出するために、最悪そのような教え方をしなくてはいけないことがあっても(注:小出さんは私塾を開いておられます)、後日必ず教え直したいと思うし、YouTubeで全国の子どもたちに「わざわざ」このような、問題に取り組む姿勢を広げたいとは思いません
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いかがでしょうか。
小出さんの説明は、理解、できましたか?
ちょっと時間をかけて、理解、してみてください。

今まで、算数や数学で、自分の頭で、既習事項を基にしてうんうんうなって考えてきた経験のある方には、わかる感覚だと思いますが、
そういう学び方をする機会がなかった方には、
さっぱりわからないかもしれません。
だから、これからわかる人を増やしていかないと、
オンライン学習の時代に、
勉強はさらに、「覚えこむもの」になってしまうのではないでしょうか。

ちなみに、先日まで開催されていた「デモクラティック・フェスティバル」や、私が訪問した時のヒアリングによれば、デンマークでは、子どもたちに日本のクイズのようなテストをしないそうです。身につくものが変わってきそうですね。

補足追記)
これから、個別学習、ICTの導入などが進むとしたら、
子どもたちが一人一人で、あるいは、何人かで、
ドリルに取り組む、パソコンのプログラムや動画に教わる、
という時間がますます多く設定されることになるでしょう。
先進的な学校ではすでにそうなってきているかもしれません。
その際に、気をつけなければならないことがありそうです。
3つ書いてみます。

1.どういう問題、プログラムを与えるか。
 かつて、手作り問題をせっせとガリ版刷りしていた先生方がいらっしゃいました。が、今はドリルがあたりまえのようです。先生たちは忙しいし、問題作りは難しいです。でも、ドリルには、子どもにとって学びが必然でない問題・プログラムや、教科書の穴あけのような問題が多すぎませんか。それらにゲーム感覚で取り組める子にとっては、「答えをあてはめることが面白い」かもしれませんが、学ぶこと、考えることの面白さを勘違いしてしまいそうです。

2.問題を与える前後にどういうインストラクションを入れるか。
 自分で深く考える経験をさせた後に、その子どもにあった他の問題にも取り組ませるという指導が、一体、どのくらいの先生にできるでしょうか。大学の教員養成課程で教え方を学ぶことができるでしょうか。プリントを与えて終わり、パソコンの進行表を与えて終わり、ということになってしまわない工夫が必要でしょう。 

3.「主体的で対話的な深い学び」との矛盾を子どもがどう胸に収めるか。
 一定時間をドリル学習に充て、あとはPBLというようなパターンでは、両者の矛盾が起きるのではないでしょうか。点数を取るための暗記や公式への当てはめをゲームのようにする時間(だってテストに必要だもの、というような言い訳つき)、と、真の学びとして考える時間を取るという矛盾に対して、子どもたちはどう落としどころを見つけていくのでしょうか。教える側は、成績評価や受験と結び付けることなく、反復学習や暗記の意味を説明することができなければならないし、できれば、それをしないで学べる方法を伝える力をつけてもらいたいものです。

そもそも、先ほども書きましたように、デンマークのように子どもたちをテストで評価しないのならば、その対策、のような授業、塾のような学習、は必要ないのですけれど。

この問題、引き続き、検討していきたいと思います。


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