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教育の再創造(リクリエーション)への挑戦 【週刊新陽 #54】

本気で挑戦し自ら道を拓く人の母校。
常に新たな改革に取り組み、
高校教育を再創造する。

これは新陽高校のスクール・ミッション(存在意義)です。

再創造(リクリエーション)という言葉を使っているのは、既成概念を壊して新たなものを生み出そうという意志の現れ。ただし過去を否定したり、なんでもかんでもゼロから作ったりしようというのではなく、過去を活かして"より良い明日"をつくろうという想いも込められています。

そこで必要なのは、自分や社会に既にあるモノの見方や考え方に疑問を投げかけること(クリティカル・シンキング)。

私たち教職員も「それってほんと?」のマインドで、創造し続ける力を育む学校をつくっていきたいと思います。

入学式は学校からの最初のメッセージ

新陽高校では、式典の統括は総務部が行います。

部長の阿美先生と立ち話をしているときに、「単位制1期生の入学式の入退場やレイアウト、どうしましょうか。」と言われたのは数ヶ月前。

先生はクラスを受け持つ担任であるというこれまでの概念から、単位制では、生徒一人ひとりの一番身近なサポーターであるメンターという役割に変わります。そして、生徒はハウスグループという集団に所属するイメージです。(新陽の単位制システムについて詳しくは、近日中に週刊新陽でご紹介します。)

クラス(1年◯組)ごとに並んで入場し席に着くのが当たり前だった式典ですが、メンター別に座るのか、グループ毎に座るのか、入場の時に誰が先頭に立つのか、などを考えなければいけません。

そこで、メンター長となる植田先生や他の先生たちに相談してみると「そもそも並んで入場するのはなぜか」「大学みたいに式の開始に全員が席に着いている状態から始めるのもありなのでは」などの意見も出てきました。

あらためて「入学式はなんのため、誰のためにあるのか」という議論を重ね、整理したポイントが以下です。

  1. 生徒の入学を許可し、それを祝うのが第一の目的

  2. 生徒にも保護者にも最初に覚えてもらいたいのは担当のメンター

  3. 義務教育を終え、高校入学という自立への第一歩を歩み出す瞬間を見守る保護者の気持ちに配慮する

ベテランの経験とメンターたちの想いが詰まった入学式は、座席のレイアウトや座る向き、入退場のやり方やルート、入学許可の呼名の順番や着席のタイミングなど、細部にわたって再創造されることになりました。

学校において、式典を含む様々な行事も学習の場であり、学習環境の一部。特に入学式は、これからどのような学びが提供されるのか、どのように過ごしてもらいたいのかという学校からのメッセージでもあります。

新入生やそのご家族に、学校の理念やビジョンを感じていただく最初の大事な機会なので、校長式辞で何を話すかも実はとても悩みます・・・。

新陽のビジョンは明確で伝えたいことはシンプルなのですが、それをどうやって言葉にするか。オープンスクールや入試などで会った生徒を一人ひとり思い出しながら、結局入学式の前日まで書き直していました。

最終的に今年度は、RADWIMPSの「正解」という曲の力を借りて、『問う人』になろうと伝えました。


ぜったい成功させたい!という想い

単位制1期生を迎える入学式。初めてのことばかりで前日は学校全体がバタバタでした。

4月8日、2・3年生の始業式とホームルームが終わると一気に入学式準備モードへ。職員室の温度も少し上がったような雰囲気に。

先ほど書いたとおりクラス(1年◯組)という概念がなくなると、受付や使用教室など全てのオペレーションが再構築されなければいけません。そして準備していたつもりでも、年度末の多忙さで詰めきれていなかった部分や、具体的にシミュレーションして初めて気づく課題が次々と発覚。

「うわー、どうする?」「このままじゃ無理だね。オペレーション変えよう!」などと声が飛び交います。

準備が間に合うのか!?と緊張が走った瞬間もありましたが、それでもなんだか楽しそう(と言ったら先生たちに怒られそうですが・笑)に見えるのは、「新入生たちのため、入学式を必ず成功させる!」という想いが共通しているから。

総力を結集し、まるで学校祭の前夜のようなハイテンションで準備を進めていく新陽の先生たちの機動力とチームワークに、あらためて感動しました。

縁の下の力持ちたちが大勢います。
設営は在校生たちもお手伝い。
入学式に配る書類の準備も和気藹々と。
(ふざけているわけではありません・笑)
入学式をシミュレーションしながら
細かい調整を行うメンターチーム。
(実は緊張していたのかなぁ)


コミュニケーションもリクリする

こうやって始まった新陽の2022年度。始業式や入学式の後に先生たちと話して感じたことがあります。

それは、高校での新生活のスタートがどんなコミュニケーションで始まるかはとても大事、ということです。(特に先生と生徒のコミュニケーションにおいて)

4月11日の月曜日は、通常登校の初日。

1年生と2年生それぞれの学年集会を覗いてみると、偶然どちらも制服の正装の話。2学年主任の先生は「服装は相手へのリスペクト。どうリスペクトを伝える?」と言い、1年メンター長は「フォーマル(ウェアや場)の意味を考えよう。」と。どちらの話も素敵だなぁと思って聞きました。

卒業まで11ヶ月を切っている3年生のクラスでは、「1日1日をどうやって過ごす?」と担任の先生たちが生徒に投げかけていました。

『自主創造』の精神は、こういう生徒とのコミュニケーションの一つ一つに宿るのだと感じます。

そして、4月1日に新しくなった学校生活規則。規則の目的が明記され、身だしなみに関する細かい規定がなくなりました。たった数日ではありますが、生徒たちを見ていても、先生たちと話していても、新生活の始まりや1日の始まりのコミュニケーションが変わってきた感触があります。

昨年度までは、朝、生徒が登校すると規則で禁止されている髪染めや化粧、ピアスをしていないかチェックし、していればそれを注意するのが先生の最初の一言にならざるを得ませんでしたが、今は少し違います。

ルールが変わったことで、髪の毛を染めていたり個性的な髪型をしてくる生徒もいますが、そのとき最初にかける言葉は注意ではありません。「どうした?(急な変化への心配)」とか「どうやってるの?(単純な興味)」から始まる会話だったり、あるいは容姿とは全く別の話をしたり、生徒の声に耳を傾ける余裕も生まれます。

ルールが変わり、「学校ではこうあらねばならぬ」「高校生はかくあるべき」と思い込んでいた部分をいったん保留することでメンタルモデル(人が持っている価値観や思い込みのこと)が変わり、コミュニケーションのあり方が再創造されていきそうな予感です。

登校してくる生徒との会話も変わってきました
「おはようございます!校長、写真撮って!」
「はいチーズ!で、その頭どうなってるの?」


【編集後記】
校長として二度目の入学式。一度目は緊張でいろいろと思う通りにできなかったので今年こそ、と気合を入れ、他の先生にも何度も流れを確認したりリハーサルしたりして臨みました。昨年と同じ失敗はなかったものの、式辞を読むために壇上でマスクを外し、言い終えてホッとしたところでマスクをせずに(卓上に置いたまま)ステージを降りてしまいました・・・席に戻って気付いても時既に遅し(泣)。
ところがそれに気付いてくれた先生がいて、撮影担当の先生が気を利かせてそっと持って降りてきてくれたおかげで、マスクをして退場できました!みんなに助けてもらってなんとか校長やってます(笑)。そして、完璧にできるようになるにはまだ何年かかかりそうです。。

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