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家庭用安心坑夫


主人公の女性小波の感じ方の描写がものすごく細かい。
まるで思春期の女子か と一瞬思い、
ああ、思春期の感覚をずっと引きずっているということだと気づく。

母子関係のゆがみからくる神経症の発作のように、
デパートの柱の上に自分のシールが貼られているのを見つけ、
それを責められると怯え逃げ出し
その何日か後「尾去沢ツトム」をテレビの中に見つける。

「尾去沢ツトム」は母から「お父さんだ」と聞かされていた人だが
実際は、人ではなく、鉱山の跡地を博物館にした場所にいる、
当時の生活を再現するためのマネキン人形だ。
何体もあるマネキン人形の中で、母はいつも同じ人形に近づいた。

佐波はそれをもう一度見に行くということに取りつかれ
でも夫には「お父さんが」とか言い、反対され、家出する。

いろいろな妄想に取りつかれ、その元凶が故郷にあるので
確認に行くわけである。
こんなふうにまとめて言えるようには過去を整理できていなくて
亡くなった母親も父親もそのマネキンの事も
思考の外に追いやってずっと生きてきて。
ある日突然噴火するようにいろいろ突然出てくるのである。
過去の虐待などを突然思い出す というような事例に似ている。。


尾去沢鉱山で「尾去沢ツトム」のマネキンを盗み出したり
本物の人間ともマネキンともつかない老人の世話をしたり
それから、マネキンにおむつをして置き去りにする。
親たちに対するけじめのような復讐のような。

夫の顔を思い出せないと思うのは、
小波が現実と向き合っていなかったからだろう。

小波が家出したから一週間くらい。
だから夫は引っ越していないかもしれないとも読者としては思うが
小波はこの部屋には入れないと思うのである。
その辺もファンタジーのようで、時間感覚もわからない。
ただ、とりあえず、彼女は親の事で引きずっていた妄想からは脱出した。

かつて生きていた「尾去沢ツトム」の事故の様子や最後の様子は
小波のけじめと同じようにあいまいだ。

コロナ禍の閉塞感とそれに輪をかけるような世間からの有形無形の圧。
夫との関係。受け入れがたい自己。


芥川賞候補作品で、受賞は逃した。
選評を読んだが、山田詠美さんや吉田修一さんのツトムをもう少し現実に引き寄せたら良いかも という意見に共感する。
平野啓一郎さんの「踏み外してしまった日常にはもう帰る場所がないというペーソス」という言葉にも共感。

我々の日常には、踏み外してしまうと元に戻れない危険性があって
そういう薄氷を踏むような感じは、コロナの時を過ぎても
弱くなるとも言えないかもしれない。


この本は、綾野つづみさんの記事を見て、読んでみようと思った作品。
表紙の、顔の中にブラックホールがあるようなイラストも気になった。



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