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書き留めていく

ゆらゆらと揺らめく音がある。誰かの中で共鳴した音。私は、その音にゆっくりと耳を近づけていく。身体は元の場所に置いたまま。

雨が降っ・て、ノイズが増、える。不調和に.:.、。そして。(調 和的に(,
空気感を?(!)

。←碁石。あ、ここにも。碁石の無限ループ。パラドックス?白タピオカ

最終のリズム、まだリフは終わっていない。

口内炎が商業主義なら、私たちはいつまでたっても共産主義者の一人。

誰かが男女の不平等を唱える。その隣の人が、性の多様性を訴える。斜向かいに座っている人は、電話越しの相手に自分がこれまでどれだけ不幸だったかを嘆いている。この不快感はなんなんだろう。

ときどき、でも結局200年後は死んでるんだしなという気持ちになる。私も、あの人も、みんななんでもなくなって、空の上で誰かを待つわけでも、地面の下でただ時が過ぎていくのを待つわけでもなくって、ただそこにいただけの何かになってしまう。これを悟りっていうのかもしれない??
死の一番怖いところって、結局私がいなくなることじゃなくて、私がいなくなった後も世界は平然と進み続けるということにあるんだと思う。観念論を信じたくなる。世界も私と一緒に亡くなってくれ。

甘い。何かが欲しい。私の家系は糖尿病一族なので、私は太ることができません。悪しからず。
太いはマイナス、細いはニュートラル。これも不平等の一人なのかな。こうやって人間的なところをどんどんそぎ落としていって、何が残るのだろう。もちろん差別は反対だけど、どうしてもそういうのに人間的な本質が残っている気がする。本当かな。

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