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『サピエンス全史』を読んで

狩猟採集社会では、私たちホモサピエンスに階級も貧富の差も存在し得ません。ところが、農耕・牧畜によって、定住が始まり、私的所有が発生し、職業の分化(専門職化)や階級対立も生まれました。

古代において、一番大事な所有の対象は、人間(奴隷)です。奴隷を所有する支配者、所有される奴隷(農奴)が被支配階級。支配階級を、被支配階級の労働の成果を横取り(搾取)する行為が当然のように発生します。

古代から中世に時代が移ると、支配する対象が、人間(奴隷)から土地に変わりました。近現代では、これが資本に変わったと捉えることができます。

さて、宗教は、こうした歴史のなかで、どのような役割を担ってきたのでしょうか。宗教は、支配する側につき、仏教で言う、「貪瞋痴(とん・じん・ち)」の拡大を促してきた歴史を刻んできたように思います(「貪」は貪り求める心、「瞋」は怒りの心、「痴」は無知の心)。 ローマ・カトリック教会による贖宥状(免罪符)は、聖職者が「貪」をむき出しにした際たる例かもしれません。

宗教改革の先陣を切ったマルティン・ルターでさえも、暴徒と化した農民を「打ち殺し、絞め殺し、刺し殺しなさい」と諸侯を激励したことからも「瞋」を露わにしました。

天職に励むことで救済を確信しようとするジャン・カルバンの宗教改革は、蓄財を奨励することで、「貪」を刺激して貧富の差を加速した結果になりました。

宗教は「貪瞋痴」をコントロールするどころか、むしろこれを拡大、強化してきた歴史をもっていると言えるのではないでしょうか。

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