死ねばいいのに

よく「死ねばいいのに」という言葉を聞くが
この「死ねばいいのに」
に代わるちょうどいい言葉はないかと
暇な私たちは考える。

「死ねばいいのに」
は あまりにも乱暴すぎる。

暇な私たちは案を出し合う。
「ガム踏めばいいのに」
「おにぎりを作るときに
塩と砂糖を間違えればいいのに」
「お気に入りの手袋を片方だけなくせばいいのに」

どれほど理不尽な扱いを受けても
どんな裏切りにあっても
何をされても怒らず
全てを許して微笑んでいられるほどの大人には程遠い。
私たちもまだまだだよね。

そんな話をしながら年末を迎えた。


「年明け早々、朝から最悪だよ」
と思ったのは
バスで私の隣に座ったおじさまだろう。

前の日に寝るのが遅くなった私は
通勤途中の暖かいバスの中でウトウトしていて
隣のおじさまの肩に激しく頭をぶつけて
目が覚めたのだった。
ハッと顔を上げると
おじさまは優しく微笑んでくれた。
(苦笑いかもしれない)

その後 恥ずかしさのあまり
しばらく外を眺めていたのだが
気を取り直して音楽でも聴こうと
イヤホンを取り出そうとしたら
バッグが膝から落ちて中身が足元に飛び出した。
満員バスの狭い座席と座席の間で
私と隣のおじさまは体を極限まで折り曲げて
ひとつひとつ拾い上げたのだった。

ようやく私が降りるバス停に着いたとき
通路側に座っていたおじさまは
満員の中で席を立ち通路に出て私を通してくれた。
「いろいろとすみませんでした。
ありがとうございました」
と お礼を言い、
最後くらいは迷惑をかけまいと急いで出ようとしたとき
こともあろうか私はヒールのかかとで
おじさまの靴を踏んでしまった。

本当に申し訳なく恥ずかしかったが
ここまでやらかすと
なんだかもう自分のことが笑えてくるのだった。

笑いを噛み殺した私の横顔は
おじさまから見えただろうか。

「死ねばいいのに」
と 思われてたらどうしよう。
せめて
「麦茶とめんつゆを間違えて飲めばいいのに」
くらいで許してほしい。


2019年1月7日 月曜日


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