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「寄り道」が才能を授ける

イタリア人のアルベルト・ナスカ。
タイトルにもありますが、彼の仕事はオートバイレーサー兼Youtuber、インフルエンサーと多才です。

詩人、哲学者、政治家でありながら、イタリア語を作ったとされるダンテ。
音楽、建築、数学、幾何学、解剖学などで素晴らしい業績を残したレオナルド・ダヴィンチ。どちらもイタリア出身です。

アルベルト・ナスカさんもそうですが、イタリアはこのようなオリジナリティのある才能を数多く輩出している国でもあります。
この講演を聞いて、なぜイタリア人がここまでクリエイティブで多才なのかが分かった気がします。彼が辿った半生では「寄り道」が多いですが、それが彼の才能を増やすこととなるのです。

そんな彼のTEDx「Come realizzare i propri sogni」(どのように夢を実現させるか)を訳してまとめてみました。
日本では、一つのことだけに集中して、全力尽くすのが正義のように扱われます。しかし、彼がとったのは全く逆のアプローチ。「寄り道」をすることで、自身の才能を大きく開花させました。
少し長くなってしまいましたが、楽しんでいただけたら幸いです。
<プロフィール>

アルベルト・ナスカ。1990年6月3日生まれ、イタリア出身。オートバイレーサー兼Youtuber、インフルエンサー。彼のキャリアはコンピューター内でのバーチャルレーシングから始まった。
数年のトレーニングを積んだ後、バーチャルレースで見事優勝し、実際のサーキットでテスト走する権利を勝ち取る。テスト走での結果がとても良く、継続的なテスト走者兼ビデオ係としてチームに招き入れられる。動画作成に慣れてくると、動画編集の仕事を様々な団体からも受注し始め、自分でもYoutubeに動画をアップするようになる。
ある時、公開したオートバイレーサーの神がかりテクニックの解説動画が12万回という再生回数を記録。一躍有名になると、スポンサーが多くつき始め、ある日突然夢であったオートバイのレーサーになることに。現在はイタリアでも指折りのオートバイレーサーとして活躍し、自身のYoutubeチャンネル登録者数は45万人を超える。  

子供は皆、大きな夢を持ちます。
私の夢であった「オートバイレーサーになる」ことを叶える唯一の障害は、とてもお金がかかることでした。

私の母は普通の会社員でしたし、父はピザ職人だったので、僕の家はお金持ちではありませんでした。しかし、僕は夢を叶えることができたのです。

イメージしてみてください。
家電屋さんに行ってミキサーを買います。
商品を家に持ち帰り、組み立てプラグに差し込んだけれど動かない。その時、私たちは説明書を手に取り、どこを間違えたのかを確認し、しっかりと動くようにします。
人生ではどうでしょう?
僕たちは皆、夢やアイデア、理想を持って生まれます。

しかし、誰一人として「どのようにすれば夢を叶える事ができるのか」を説明してくれる人はいません。
人生にユーザーマニュアルは存在しません。
各個人が「自分だけの道」を見つける必要があります。

「しぶしぶ誘いに乗る」が、人生を変える

16歳の頃です。ソファーの上でくつろいでいました。ゲーム、TV、本、このまま動きたくない。ソファーの上が気持ち良すぎて、ずっとこのままでいたいというあの感覚です。ちょうどその時、友人から電話が鳴り、「家に遊びにこない?」と彼は僕に言いました。このままくつろいでいたかったのですが、友人たちからの誘いだったので、僕はしぶしぶ友人の家に向かうことにしました。

友人の家に着くと、家の床にコンピューター用のハンドルが投げ捨ててあるではないですか。
僕がそのハンドルを眺めていると、彼らは僕を見て言いました。「これ欲しい?ちょうど捨てる所だったんだよね。」ハンドルは僕のものになりました。

家に帰ると、すぐさま自分のコンピューターにハンドルを組み立て、カーレースのビデオゲームを始めました。その日から毎日、僕は一日中部屋でビデオゲームをするようになりました。  

そしてある日、「どうやってレーサーになるのか?」とネットで検索しました。幸運にも、ネット上で元レーサーの人と知り合う事ができたのです。すぐにSMSメンセンジャーで彼にチャット送りました。彼からの初めの返信はこうでした。
「君いくら持ってるの?」
貯金箱を見に行くと、150ユーロ(約16,000円)入ってました。そのことを彼に伝えると、彼は笑いながらこう言ったのです。
「1シーズン走るのに10万ユーロ(約1200万円)かかるよ。君がお金を持っているか、そうでなければ走れないかだよ。」
それを聞いてがっかりしていたのですが、彼は続けて言いました。
「もし君がハンドルを持ってるなら、私たちがやるビデオゲームのシュミレーションレースで走ることはできる。優勝したら、本物のサーキットでテスト走だ。」
サーキットでのテスト走を夢見ながら、僕は練習を続けました。  

数日後、彼が僕にこう言ったんです。
「君、動画作れるか?僕たちがやるシュミレーションレースの動画を作ってくれる人を探しているんだ。」

当時の僕は、動画の作り方なんて全く分かりませんでした。しかしチャンスだと思い、一つ返事でYesと言いました。そして、すぐにYoutubeで動画の作り方を調べました。画面を見ながら、彼らと同じようにできるように、毎日試行錯誤しながら動画を作っていましたね。それ以外の時間は、ひたすらコンピューターでカーレースの練習です。その結果、動画作成というスキルを身につける事ができました。

そのおかげもあり、次の年のシュミレーションレースで優勝する事ができたのです。待ちに待った、本物のサーキットでのテスト走です。
僕の情熱が、僕を夢の入り口へと導いてくれました。

チャンスに気付くということ

僕が走り終わると、チームマネジャーはこう言いました。
「君の走りはとても良かった!こんなに良い結果が出るとは思っていなかったよ!来年、5万ユーロ(約600万円)で走らせてあげよう」

僕の貯金箱にはまだあの時の150(約16,000円)ユーロが残ってたんですけど、それじゃあ無理ですよね。しかし、チームマネージャーは続けて言いました。
「君がお金を持っていないのは分かってる。しかし走る事が好きで、動画を作れるのも知っている。だから、私たちのチームの動画を撮りに来ないか?給料は払えないけどレーシングカーの試乗ができる。どうだ?」  

彼らはバレーゼという街(ミラノの近く)にいました。僕はトリノです。車を買うお金もなかったので、電車で行くしかありません。夜12時の電車でトリノを出発して、深夜の2時にミラノに着きます。そして、駅で4時間寝た後、ミラノからバレーゼ行きの電車に乗るというのが唯一の方法でした。しかも毎日。しかしサーキットで走るのは、10分のみ。それが終わると家に帰るんです。
この10分の為に、週末の夜、友人や彼女と飲みにいくのも諦めなければなりませんでした。しかし、僕はその誘いにYesといいました。

それから数年後、僕にチャンスがやってきたのです。レーサーを目指している人のタレントショー番組。参加するには、自己紹介動画を審査員に送って、選考を通過する必要がありました。僕には動画作成の経験があったので、面白い動画を作る事ができ、選ばれることができました。  

そのタレントショーでは、僕のコンピューターレースの経験、サーキットでのテスト運転の経験が見事に繋がり、レースで優勝することができたのです。

「ルーティーンの外」に宝は眠る

その後、僕はトリノからミラノに引っ越すことにしました。それと同時に、自分ができる動画作成サービスを様々な団体に営業することも始めました。僕のサービスを提案するために、すべての無料練習会のオーガナイザー、大会、ドライバー、チーム、に片っ端から連絡をしましたね。

僕は一日中、動画を作るために、食事中もコンピューターの前に座っていました。しかし、僕は幸せでした。「何か良いことが起きるんじゃないか」と期待しながら、同じ毎日を過ごしていました。

ここで一つ問題が起きます。僕は、毎日同じことをただ繰り返しているだけでした。家で動画の作成。次の日はサーキットで撮影。その繰り返し。僕は4年間もの間、同じ毎日を過ごしていたのです。オートバイレーサーになれる希望は全くなく、僕を取り囲む状況は全く変化しませんでした。

ルーティーンから抜け出さなくてはいけないと感じていたある日、当時の彼女が僕にこう言いました。
「演劇のコースを受けたいんだけど、一緒にやらない?」
演劇なんてレーサーになることとは全く関係ありません。しかし、僕は演劇のコースに通うことにしました。楽しかったのを覚えています。

それから数年後、僕は人生で何をすれば良いのか、全く分からなくなっていました。しかしある時、動画素材の整理しているとあるものを見つけたのです。

あるレーサーが驚異的なテクニックを見せたもの。グリップが効かなく、倒れそうなバイクを見事におこし、不可能を可能にしたのです。僕はそのテクニックを見た時、この素晴らしさを多くの人に伝えなければならないと思い、動画を撮ることにしました。

動画作成の経験、モータースポーツ界で働いた経験、そして、演劇で学んだ演技の技術が繋がりましたね。動画は一気に拡散し、12万人もの人が観覧したのです。

その後も、動画を撮り続けました。1年後には、5万人の人々が僕のチャンネルに登録してくれました。2年後には、登録者数は42万人に膨れ上がったのです。そして、この動画を見た様々な企業やメーカーが、僕にヘルメットや手袋を提供してくれたり、年間契約のスポンサーになってくれました。そしてある日突然、子供の頃から夢みてきたオートバイレーサーになるという夢を実現したのです。

さあ、点で印をつけに行こう

物語は16歳のあの日、しぶしぶ友人の家に行くところから始まりました。僕が夢を叶えるためにした、特別な事は一切ありません。練習の成果もあって、いくつかのレースで勝つ事はできましたが、僕よりも強いレーサーは沢山いました。
僕は天才ではありませんし、何か画期的なものを発明したわけでもありません。

たった一つ僕がしたことは、点と点を繋ぐことです。僕たちがまっさらな紙を手に取った時、「なにか描いてみて」と言われても、上手な絵を描くことはできません。しかし、紙の上に点で印があったらどうでしょう?それをなぞるだけで絵が完成します。僕の過去が、あることを教えてくれました。白い紙を手に取った時、僕たちがすべきことは、紙の上に点で印をつけていくこと。そして、後に点同士を線で結ぶことです。  

では、どうやって点をつけていくのか?
点がつくのは、僕たちがルーティーンの外に出た時です。点の多くは、僕たちが「普段と違うこと」をした時につくのです。ジャズが好きならヘビーメタルのライブに行ってみる。ゴルフが好きならレスリングを見に行くのも良いでしょう。遊ぶ友達が誰も見つからない時は、興味のない展示会に行ってみましょう。  

いつもと違うこと、コンフォートゾーンの外側に思いがけない可能性があるということ。その可能性が点になり、線で結んでいくと、その人だけの絵が完成します。  

勘違いしないで欲しいのは、コンフォートゾーンの外に出る事とは、飛行機に乗って地球の反対側まで行き、家族、仕事、友人を置いて人生を変えることではありません。  

コンフォートゾーンの外側に出るとは、些細なことでもいいから、
「いつもと違う」を毎日に取り入れてみること。  

もし、しぶしぶ友人の家に行き、ハンドルを家に持ち帰っていなかったら?ネットで「どうやってレーサーになるのか」と調べていなかったら?
できないという理由でビデオ作成を断っていたら?毎日ミラノ駅で眠るという選択をしていなかったら?演劇のコースを受けていなかったら?
今ここにある現実は起こっていなかったでしょう。

僕が皆さんに話したのは、点と点が見事につながった物語です。
「いつもと違う」をしてみたけど、結果に繋がらなかったことは何回もあります。沢山の動画を作成しましたが、僕の状況を大きく変えたのは、たった一本の動画です。

ルーティーンの外に飛び出した時、まっさらな紙に点で印がつきます。しかし、その瞬間に点で印が付いたことには気づきません。目の前の状況が人生を良くするチャンスなのかもわかりません。
それが分かるのは数年後かもしれないし、もっと後かもしれません。

しぶしぶ出かけた16歳の時、僕は全く意義のない一日を過ごしたと感じていました。そして、5年後もそれは変わりませんでした。しかし、それから13年後の今、あの日が僕の人生で一番重要な日だったということがわかりました。

まとめ

一見すると無駄なことが無駄でないということ。やる前から「これは無理だ」とか「無駄なことだ」と考えてチャンスを逃している事はないでしょうか?この話は、大きく「夢」ということだけに限った話ではないと思います。

全く関係のないことをしていたら、新たなアイディアが降ってきたり、普段しないことの中に、自分の仕事のヒントを見つけた経験は誰にでもあると思います。同じ事をずっとしていても飽きてしまうし、解決策が見つからない時は、思い切って別のことをしてみてはいかがでしょうか?

今考えると、学校のシステムはよくできていますね。一つの教科が終わったら、別の教科をしてリフレッシュします。そうすることで、新しい知識をいくつも吸収していきます。しかし、日常や仕事はどうでしょう?同じことをしていると思考が偏り、ヒントを見逃してしまう恐れがあります。真面目である事は日本人の強みですが、欠点でもあるように感じます。一つのことだけに集中するのではなく、他のことにもチャレンジしてみませんか?すぐそこにチャンスが落ちてるかもしれません。

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