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自己紹介&プロフィール

スタートアップ企業のPart-time CFO、資金調達・M&A支援やメンタリングに主に取り組んでいます。日本全国250万社にエクイティ・ファイナンスの機会がある社会、がビジョンとなります。
※note初投稿ということで、使い方まだ稚拙で、かつ長文となってますがご笑覧ください。

現職
テンキューブ株式会社代表取締役

こういうツールも作っています↓ 株式管理回りをまるっとDX化してしまおう、というSaaSです。

その他、スタートアップ周りではこんなお仕事も。

NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)カタライザー

デジタルハリウッド大学客員准教授

上記の他、複数のスタートアップ企業、上場企業、投資ファンド等の社外役員やアドバイザーなどをさせて頂いています。

今取り組んでいること


主に、以下のようなご相談をお受けすることが多いですが、ご紹介や案件によっては会社設立前のシード段階からの相談があったり、上場企業の業務案件やスポットでFinancial Advisorを務めたりすることもあります。
▼いわゆる”シリーズA”前後のスタートアップ企業の資金調達周辺のお手伝い
Part-time CFOとして、事業戦略/資本政策立案・実施、投資家折衝、
 管理部門サポートから経営トップのメンタリングまで
社外役員(取締役・監査役)
資本政策立案・実施の現場サポート
▼プロパーCFOの採用支援や面接
企業価値評価やM&Aのデューデリジェンス
▼エクイティ・ファイナンス特化のプラットフォーム”CORST”の開発

実績

 そうは言っても、具体的にどういう実績があるのよ?という方に、案件ベースで僕がどんな仕事をしてきたか箇条書きにしてみます。そうすることで、「ああ、そういう方面の人ね」というイメージがつくかと思います。

▼スタートアップや上場企業への支援の例
 ・AIスタートアップのシード調達・シリーズA資金調達
 ・ロボット企業のシリーズA資金調達
 ・IC技術企業のシード・シリーズA資金調達
 ・創薬スタートアップのシリーズB資金調達
 ・医薬機器スタートアップのConvertible Equity調達・プレA調達
 ・美容関連企業のシード調達
 ・フィンテック関連スタートアップの資本政策支援
 ・店舗向けクラウドスタートアップのシード資金調達
 ・上場製造企業における銀行借入の組換え支援
 ・上場持株企業におけるガバナンス体制改善支援
 ・日本政策公庫からの資本性ローン調達
 ・プロパーCFO採用基準&面接対応
 ・太陽光発電プラント投資案件立案・企画・実施
 ・ストック・オプション、優先株、投資契約設計・交渉
 ・主幹事証券・監査法人選定・IPO準備対応
 ・飲食店の店舗改善/製造業の工場フロー改善/棚卸方法の改善etc
 ・機関設計・総会/取締役会運営事務局、ガバナンス改善(多数)等
▼M&Aの例
 ・製造業の買収
 ・保険業の売却
 ・システム開発企業の買収
 ・ネット広告企業の買収
 ・電設工事企業の買収
 ・エンタメ企業のスピンアウト
 ・小売業の再生PMI
 ・組織再編を伴う借入のリストラクチャリング
 ・飲食店の買収
 ・貿易会社の買収
 ・ロボット会社の部分買収
 ・投資ファンドへの優先株発行 等

これまでの軌跡

金融当局時代

 時系列でたどってみると、僕は1995年に大学を卒業して就職しました。最初は6年弱ほど日本銀行にいました。中央銀行ですね。新人の見習い的なOJT期間を経て、主に考査局という所で銀行考査という仕事に従事していました。これは、ひところ流行った「半沢直樹」に出てくる検査官の日銀版です(笑)。まぁ、僕は下っ端でしたからTVに出てくるほど居丈高でやってたわけではありませんが。ただ、このときの経験はその後の僕の職業人生の原点だったなあといえます。3年半ほどその部署にいたのですが、大小30先ほどの銀行に2~3週間ずつ立入考査をして、膨大な件数の貸出債権や仕組債などの査定をするのですね(不良度合いのチェックです)。正確に数えてはいませんが、1銀行あたり若手でも300~500件程度は見ていたと思うので、300~500件×30≒9,000~15,000件くらいの財務諸表を3年間来る日も来る日もみて、百戦錬磨の銀行支店長相手にガチで擦り合わせの面談をします。ストレスMAXでしたが、決算書に留まらない企業財務の見方、銀行貸出の考え方を体でたたきこまれた時期でした。当時は不良債権問題が吹き荒れており、多くの銀行が潰れた時代でしたから、当局側も銀行側もお互い必死でした。

 あの不良債権の山を処理する金融の非効率さを無くし、街の隅々までリスクマネーを行きわたらせるにはどうしたらいいのかというのは二十数年前の原体験以来、僕の一貫したライフワークです。

 その後、日銀や大蔵省(今の財務省ですね)でも上の人たちの不祥事が多数明るみに出て、職場は相当ささくれだった雰囲気になりました。しかも、ゼロ金利政策というのが導入され、短期金融市場のモニタリングも担当していた自分の仕事はポッカリ穴があいたように暇になりました。一方で、僕は当時、海外から日本に進出してくる外資系銀行の審査の窓口もやらせてもらっていたのですが、これが非常に面白かったのです。日本の銀行は経営難でヒーヒー言ってたわけですが、外資系はそれぞれ業務に特色というか、やることとやらないことがはっきりあり、自分の得意領域で厚い収益を上げていました。たとえば、海外送金に特化・自治体発行の債券引受に特化・旧植民地との取引に強いetcといった感じです。規制業種といっても、世界ではいろいろな商売のしかたがあるんだなぁ、モノは考えようなんだな、と衝撃を受けました。そんなこんなの状況で悶々としていたら、90年代の末に日本でも大幅な金融規制緩和が行われることになり、約半世紀ぶりに銀行業が事業会社にも開放されるときいて、「このタイミングは外せない!」と即決した僕は、ご縁のあったイーバンク銀行(現・楽天銀行)の立上げに参加したのです。辞めて、ベンチャーに行く、と上司や家族に言ったら「絶対にやめろ」「ろくなことにならんぞ」「辞めるなら中堅行員くらいになってからの方が割に合うよ」など大合唱。今思えばとてもありがたい助言ばかりでしたが、青二才の僕は影も形もないベンチャー銀行(の準備会社)に飛び込んだのです。僕のベンチャー/スタートアップ周りの仕事・暮らしは、それ以来約22年目ということになります。

スタートアップの世界へ

 イーバンクでは、スタートアップの企画・財務・管理実務を本当にゼロから担当しました。とにかく金集めが最優先課題でしたので、朝から晩まで投資スライドづくりや上司とともに投資家回り。今のようにVCもまだ多くなく、アクセラプログラムもピッチイベントもほぼありません。ロングリストも刈り取ってしまい、電話帳(笑)で投資業らしき会社にアイウエオ順で片っ端から当たっていき「ベンチャー投資やっておられたら出資しませんか?」と訊いてほぼ100%断られるという地獄のような調達活動をしてました。結果として経営陣の奔走により半年で100億円規模の出資を投資家から調達できましたが、ユニコーン花盛りの今と違い、本当に暗中模索だったと思います。「資金調達とはドブ板を渡って営業するものである」というのはこの時期に学べた最大の収穫でした。調達以外でも、いつまでもバランスしない貸借対照表を徹夜で直したり、どこかの銀行OBがもらってきた銀行規程を手で打ち直したり、昔でいうMOF担でもあったので役所からの電話にすっ飛んで行ったりですね。まさに何でも屋。預金がどんどん積み上がってきたので、途中からはALMの仕組みつくったり(定期預金が少なく、ほとんど機能しなかったと思いますが)、債権流動化商品買うとか運用も始めていきました。 

投資ファンドを経て独立、起業

 銀行の立上げが一段落した頃、友人から声がけをもらい、投資ファンドに移りました。今でいうPEファンドで、商業店舗証券化(CMBS)の組成・運用と投資先の再生が業でした。アシスタント含め10人規模だったので、ストラクチャリング・投資家営業・組合報告書作成・物件の定期点検で北は秋田から南は福岡まで行脚して体力の限界まで夢中で仕事してました。キャッシュフローを緻密に算定してスキームに落とし込むスキルや、厚さ10㎝超のファイル×10冊みたいな証券化ドキュメントを読み解き、リバースエンジニアリングして信託や組合案件を組成するといった分野の土地勘はこの頃に身に付けました。ところが、ブティック系あるあるの”コップの中の嵐”に巻き込まれ、実質的にクビに。これはキツかったですね。2004年の年の瀬は、「この先どうしよ?」みたいな感じで妻に(といってもまだ結婚する前だったのですが)、渋谷警察署そばのスタバでコーヒー飲みながら愚痴ってたのを思い出します。彼女は、「好きなことしたらいいんじゃん?」みたいな助言だったと思います。というか、それしか言いようが無かったんだろうなと(笑)。
 そんなこんなでなし崩し的に独立して、年明けからネット時代だというのに、個人で年賀状数百枚手書きしたり朝昼晩と人に会って「よかったら仕事くれませんか?」みたいな。人間、追い詰められたら腹据えてやるしかありません。相当切迫感伝わったのか、いろんな方が助けてくれて、資金調達や不動産ファンド組成やデューデリや株価算定の仕事とか何でもやりましたね。レストランの動線改善のために時間帯別の来客動向をカウンターで数えるとか、金融に関係ない仕事もやりました。途中からは不動産絡みで小さい雑居ビルの空きが埋まらないのに目をつけて、小分けして貸すレンタルオフィス事業の会社も起業して短期間で3棟まで増やして高稼働にするとか、上り調子でした。このときは、物件選定・内装設計・料金プラン作りからウェブ構築、接客、クレーム対応、回収まで自分でやりきりました(壁紙やドアロック機器の選定、HTMLやCMSも一から勉強して自分でウェブ構築し、SEOも自分でやっていました)。事業立ち上げ時の細部は自分で納得いくまで作り込んで結果出す、というのはそのときの経験です。自分自身で、C向けに小さいながらも事業を手で作って、お客様の声に向き合い、売上・回収も徹底してやってきたからこそ、経営者メンタリングもできるようになった面があると思います。
 鼻息が荒くなっていた僕は、一挙に物件数を30棟くらいまで増やそうと考え、紹介してもらった東証上場の不動産ファンドのトップに未来を語って気に入ってもらい、投資家として私募CBを引き受けてもらう段取りをつけてました。ところが、その春頃から海外で不動産証券化市況が急激に悪化して、欧米系大手証券が支払停止などになってました。秋にCB契約のドラフトが完成して着金→物件取得の流れで動いてたのですが、様子が変です。投資家オフィスに行くたびに人が減り、灯りが減り、「こ、これは、、?」と逡巡してるうちにアッという間に先方が倒産。もし早々に着金して物件押さえてたらほぼ間違いなくこちらも潰れてました。冷や汗ものでした。このとき、起業家としてもマクロな市場の動き・兆候を動物的につかむ大切さや、自分のモヤモヤ感の気持ちにフタをしないこと、を学びました。その後、不動産市況は暴落し、レンタルオフィス事業には空室を埋めたい大手が高級かつ低価格路線でどんどん参入しレッドオーシャン化していきました。スタートアップ向けの資金調達マーケットも一時期「崖」から滑降するように急激に絞られました。僕は、CBの一件では急場を凌いだものの、このタイミングでレバレッジかけて展開するのは事実上不可能となり、3年で元本+αを回収した段階で撤収しました。

上場企業役員を経て、スタートアップ再び 

 安倍政権が復活した2012年頃からは、株価の急回復も追い風となって、あちこちでスタートアップを盛り上げようという動きが本格化してきました。僕も、アドバイザー業務は途切れず、PE的な救済的な案件からスタートアップのPart-time CFO的な案件の比率が高まっていたように思います。東日本大震災の影響で一時的に混乱はあったものの、クライアントの調達規模も増え、小型のM&Aも珍しくなくなってきました。経理・財務・総務・労務全般をみるように仕事の幅が広がったのもこの頃です。そんな中、旧知の上場企業トップの先輩に買収案件の手伝いを声がけ頂き、その流れでPMIや本体の役員も任せていただきました(ミナトホールディングス㈱6862)。上場企業グループにおける戦略構築・増資・M&A・IRの統括・国内外の連結子会社管理などは個人的に非常に大きな収穫でしたし、結果として業績向上時に経営企画・財務・M&Aの担当役員をさせていただけたのは感謝しかありません。
 2018年にふたたび独立し、テンキューブ株式会社を立上げてからは、幸運にも多数のお声がけをいただき、スタートアップを中心にシリーズA・Bの増資・海外からの出資のための戦略づくりから現場折衝・クロージング支援・出資後の株主総会や役員会の継続的な運営サポート・トップへのメンタリングに至るまで、さまざまな案件をお手伝いしています。
 自分自身、公的機関・スタートアップ・起業・上場企業と経て、何周もして(時にはかなり遠回りもして)、結局ずっと、スタートアップや中小企業に寄り添いながら、リスクマネーを繋ぐ仕事/ライフワークをしているわけですね。今後も一層精進して、皆さんのお役に立ちたいなと思っています。


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