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八百万の神

ある日の朝。

着替えをしている長女のレギンスに穴が空いていた。

『だいぶ履いたし、今度新しいの買うから捨てていいよ』
と嫁に言われゴミ箱に向かう長女。

『ありがとう』

そう言ってゴミ箱に入れる。

いつものことだが改めて考えてみた。

長女は自分が買ってもらったものを捨てる時に毎回感謝する。

いつからだろう。

長女は話し始めが遅かった。
こちらの言うことは分かっている様子だったが、3歳頃まで単語が出るか出ないか。

なので会話のキャッチボールというよりは、こちらが話しかけるのが中心。
『お父さん・お母さん』や『おはよう』もなかなか聞けなかった。

そんな長女だったが、普通におしゃべりできるようになるとあっという間。

そして、自分の物を捨てる時の『ありがとう』は気づくと言っていた。

その頃の長女が興味があったアニメといえば、定番〝アンパンマン〟や女の子といえばの〝プリキュア 〟そして

〝ここたま〟

アンパンマンやプリキュア に比べれば知らない人もいるかもしれない。

簡単に説明すると

物には全て魂があって、大切に使っているとそこから見習い神様の〝ここたま〟が生まれる。
色々な物から生まれた、ここたまたちが一人前の神様を目指して頑張る。というストーリー。

子どもたちに《物は大切に》ということをキャラクターを使って伝える。

いい考え方である。

長女もしっかりとハマった。

その時期に
『ここたまがいるかもしれないから、おもちゃも服も大切にしようね』
と言っていた。

多分、当時の長女にとってとてもいい刺激だったのだろう。

そこまでアニメやおもちゃに興味がなくなってからも度々聞かれたことがある。

『物は大事にされると喜んでくれるのかな?』

ここたまの存在はなくても彼女の中で、物を大事に扱うことの大切さを知ったのだろう。

宗教観として様々な意見はあるだろうが、私はここたまのように物には魂があるという〝八百万の神〟といった考え方を信じている。

だからといって他を否定はしないのだが、以前に世界一周やボリビアでのボランティア中にも友達になった現地の人にもこの考え方を説明したりした。

なので、長女にもその考え方は大事にするように伝えた。

その影響なんだろうか。

最近までは長女の服はお下がりとして次女が着ていたので、彼女自身が捨てることはなかった。

自分で捨てるとしたら、穴の空いた靴下ぐらい。

それが、次女も大きくなって同じサイズを着ることが増えたので二人で着回す服も増えた。

当然、今回のように着ようと思ったら自分が着るタイミングで穴を発見することも増える。

そこで、冒頭の出来事。

服にしろ歯ブラシにしろ文房具にしろ。
最後の最後まで使おうとする。

片付け上手な次女と違って、出しっぱなしが多い長女。

それでもボロボロになるまで大切に使う。

言葉には出さないが、もしかしたら彼女には〝ここたま〟が見えているのかもしれない。

一つの物を大事に使う。

シンプルだが大切なこと。

これからも、人だけではなく物にも感謝の気持ちを忘れずに育っていって欲しい。

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