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愛されたければ愛せよと言いますが
愛されたければ愛せよと言いますが、
そもそもどのように愛されたいのでしょうか。
何でもやってもらって、
何でも理解してもらって、
何でも認めてもらって、
何でも受け入れてもらう。
これが愛でしょうか?
もしそうだとしたら、同じように相手に対して
それができるのでしょうか。
きっとそれは難しいでしょう。
愛するということは、自己犠牲的に相手に尽くすことではなく、
自分は自分であり、相手も相手であり、
対等な関係を認め合うことです。
対等な関係を認め合うことで、お互いに負担のない関係が築けます。
だから踏み込みすぎることは、
愛ではなく過剰なものになるのではないでしょうか。
相手をただ認めるということができれば、
たとえ嫌なところがあっても認めることができます。
相手のすべてを好きになって、
相手のすべてを許さなければならないという幻想にとらわれていると、
それは絶対に不可能です。
人間は100%思い通りにはなりません。
まず愛の定義をきちんとすることが重要です。
愛の定義が相手を認めることであれば、
どんな人に対しても「愛」という言葉は使いやすくなります。
恋愛以外の関係においても愛していると言えるでしょう。
恋愛の愛は、独占や支配など、
愛とは言い難い要素が多く含まれることが多いです。
それは本人の未熟さが引き起こすものであり、
引き合う二人は同じ未熟さを持っていることがほとんどです。
多くの家庭は、似た者同士の夫婦がトラブルを起こしているのです。
愛を「認めること」としてしまえば、
相手の行動や考えを認めるだけで同意はしないという態度が取れます。
認めることができれば、共存は簡単になります。
しかし、愛することを「一つになること」と考えてしまうと、
合意できないことが出てきたときに、
どちらかが我慢するか、関係が破綻するかといった問題に発展します。
それでは愛を貫くことはできません。
相手と意見が合わなくても相手を認める、相手の考え方を認める。
それができなければ、
人間として付き合っていくことはできません。
実際、多くの家庭では、どちらかが我慢を強いられていて、
その我慢が蓄積することによって、喧嘩や離婚が発生します。
愛を誓ったはずなのに、思い通りにならないからといって、
相手を責めたり、相手を拒否したりすることで関係が壊れていきます。
このようなケースはそこら中に溢れています。
これからの世の中は多様性と言われていますが、
相手を認めることができなければ、
多様性も何もありません。
相手を認めることこそ、愛に通じます。
愛とは何かについて自分なりの定義を再認識してほしい。
私が言っていることがすべて正しいわけではありませんので、
あなた自身の愛の定義を作るべきです。
それができれば、その定義に従って行動することができるので、
今とは違った関係性を築けるでしょう。
ただし、理性的に愛を認めることができたとしても、
それとは別に、今までの体験から学習した感情があります。
感情は理性とは別のものなので、
その感情をどうコントロールするかが重要です。
感情のコントロールは過去の体験に起因するため、
その過去の体験についてのメンタルケアが必要です。
それができれば、穏やかな人間が出来上がります。
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