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失敗最高!

今日は10人ほど大学の友達が集まって花見ではなくBBQをやります。
声をかけて集まってくれるって嬉しいよね、楽しませてあげたくなっちゃうよね。
周りの人がいて自分の存在価値に気づきます。


さあ魔の高校時代振り返っていきましょう。

元々進学先は決めていたが直前に高校の監督が中学にお越し頂き是非来てくれとスカウトを頂きありがたいことに特待生として入学をした。

入学した時の3年生が全国優勝を果たした。外部からの評価はうなぎ上りだったが、内面はガタガタでした。先輩同士の派閥、部内でのいじめ、暴力行為。

まさにギャングスターの集まりでした。
バレーが上手ければなんでも許され、常にチヤホヤされているのが当たり前。
本当はチームに凄い人は2人だけ、なのにみんな良い気なってました。


自分のポジションはセッター。当時のスタメンは今じゃオリンピック選手
その控えとして1年から国体や春高に出場させて頂いた。
もう十分上手いのに誰よりも練習し誰よりも勝ちにこだわっていた。初めて一流をみた。部内にいろんなギャングスターがいるけど自分が付いていく人はこの人だと心の中に決めた。部活中はずっと一緒に過ごした。帰りの電車も毎日一緒だった。あまり口数が多くないがいつも内に秘めてる闘志をこちらにビンビンに伝わる。

日本一のセッターの控えとしてプレッシャーもあり、指導を直接頂き、試合でチャンスを頂くことがありながらなかなかモノにできなかった。

2年目、1つ下に同じポジションの後輩が入学したと同時に、同期がポジション変更でセッターになった。一気にライバルが2人増えた。
当時はなんでだよ。ふざけんなよと不満ばかり抱いていた。

そして夏のインターハイ予選が始まった。
自分は控えでもなく応援席にいた。ライバルとの競争に敗れてユニフォームが着れなかった。
かなりの挫折を味わった。それより大好きなセッターが出来なくなることも悲しかった。自分の居場所がなくなった気分だった。

そして国体も選ばれなかった。
自分にもプライドがあって悔しくて仕方なかった。

どうしても試合に出たかったのでレシーブを磨きに磨いた。
リベロでなんとか試合に出れないかと考えるようになった。当時のリベロは高校日本代表だったが、技術じゃない自分のストロングポイントを活かせれば試合に出れそうと思い、監督、キャプテンに直談判した。

今度こそチャンスは逃さない。
三度の全国大会があり年間通じて最後の大会が春高。
なんとかその大会でユニフォームを着てリベロとして出場が叶った。尊敬するセッターの先輩と同じコートに立てて感慨深かった。ずっと気にかけてくれた。

そして自分達の代が谷間世代で弱かった。変わらずリベロで試合に出ていたが、今度は最後の春高前でレギュラー落ちをした二回目の挫折。
もうバレー嫌いになってしまう直前。

でも最上級生としての振る舞いを心がけた。チームとして戦う。
自分にできる事は全部やった。裏方も、チームマネージメント、練習メニューの作成。後輩の面倒も。メンタルケアも。それでも試合に出たくて泣きながら帰ったことも多かった。

最後の春高に途中出場だが出れた。
技術ではなく色んな人が人間性も含めてピンチの時はお前に出てもらいたいと言われた。今思い出してキーボード打ちながらも泣けてくる。


振り返ってみれば高校時代バレーに関してはうまくいったことが何一つなかった。
でもそれが人間的にとんでもなく成長させてくれた二度の挫折にポジションも二度失い、プレイングマネジャーとして裏方も経験した。
その結果
心の強さが何よりも大切だと学んだ。何度腐っても這い上がる心の強さ。
自分のストロングポイントで勝負すること。裏方として周りを生かすこと。
挫折しなかったら気づけなかった。人の暖かさに触れることもなかった。

失敗と捉えるの自分であった周りが決めるモノではない。失敗は挑戦した人のみが得られる特別な経験と考える。失敗を失敗で終わらすか、考え方を変えて別に生かすかは本人次第です。

結局自分はバレーボールを通して人間性を培ってきた。その競技を通して様々な人と出会い、良い思いも嫌な思いもしてきました。記憶に残るのは嫌な思い出。でも一番成長出来た時期だったと間違いなく断言できる。
初めて技術じゃなくて人間的に成長したいと思ってた。それは全て失敗と挫折が教えてくれました。


失敗最高!

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