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【小説】健子という女のこと(13)

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 その写真には、ギターを弾く若い男性と、楽しそうに唄っている若い頃の母親が、写っていたらしい。健子が中学生の頃、YMOにのぼせて<散開ツアー>まで、追っかけをしていた時期、お母さんがその写真を出してきて、「母さんも、若い頃はフォークソングのグループを、組んでいたんだよ・・」と、自慢そうに見せてくれたことを、思い出したと健子はいった。
 そういえば、自分も学生時代、フォークソングブームに感化され、グループを組んでいたんだと田端は、健子の話を聞きながら、遠い記憶の海原に漕ぎ出していた。
「お母さんは、何年生まれなんだい」田端は聞く。「二十四年の丑年生まれなの・・・」「何月生まれなの」「十月・・・三十日で、さそり座の生まれなの・・・」健子はそういって、組んだ両手を胸元に添え、何かを思い出しながら、祈っているようでもあった。
 学年は自分と同じなんだ。田端はただ漠然と思った。あの頃は誰もが、フォークソングに凝っていた。学生運動で、来る日も来る日も、講義が休講になることが多かった。学校の近くで屯する仲間同士が、自然とグループになり、見よう見まねでギターを、かき鳴らし、やれ反戦だとかいって、ボブディランやジョーンバエズなんかを、恰好つけて唄っていたものだ。
 フォークソングで、世の中を変えられるかも知れないなんて、青臭い思いを、真剣に信じていた頃の自分に、田端は鼻白む。

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 田端は赤信号を睨みながら、あの頃の大学生時代の荒廃しきった、想い出を脳裏に繰り出し回転させていた。学校の門までは毎日登校するものの、休講がちの講義に出席する意欲も萎え始め、校門脇の喫茶店に、出入りするようになる。
 やがて麻雀仲間ができ、朝から深夜まで、チーだのポンだのと、麻雀講義ばかりに熱を入れていた。大学へ何を学びに行ったんだろう・・・。高校時代の昼休み、卒業したら社会に出て働くんだという級友から、「大学なんて何しに行くんだ」って聞かれた時、「まだ、社会に出るのが不安なんだ、もう少し時間がほしいんだ・・・」っていって、呆れられたことを思い出していた。
 田端はあのころから、いつもそうだった。問題を常に先送りしては、そのうち忘れ去り、後々大きな問題に発展して、時にはそれに飲みこまれてしまうこともある。その時その時において、はっきりと結論を出すまで、深く考えてから行動を起こすのではなくて、ただ目先の状況に順応して、流されていく生き方しかできない。
 田端は、あの頃より困難からの逃避名人だった。


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