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ショートストーリー『ヘデラの遺書』

花倉 陽へ

 改めて花倉、結婚おめでとう。貴方の人生を共に歩むパートナーが見つかったこと、とても喜ばしく思います。
お相手は大学生の同期で上場企業の会社員だと母から聞きました。披露宴で話してみると、優しい雰囲気で誠実そうな方でした。貴方が彼を選んだ理由がわかった気がします。二人ならいつまでもきっとうまくやれると思っています。

 覚えていますか?小学生の時は花倉とよく一緒に登下校したり遊んだりしましたよね。登校日の朝、私の家のチャイムが鳴ると玄関の前には必ず貴方がいてくれました。登校する準備をもたもたとしている間も待っていてくれました。そして、歩幅を合わせて他愛もないお喋りをしながらゆっくりと歩いていたら遅刻してしまって、先生に「遅い。」と二人で注意されたこともありましたね。
花倉家に何度も遊びに行きました。家の中を案内してもらったり、近所を駆けまわったりしましたね。花倉のお母さんが毎回お菓子を出してくれて、でも毎回ほとんど手を付けずに貴方と遊んでばかりでした。
私は特に様々な草花が命を輝かせていたあの庭が好きでした。オジギソウをちょんとつつくと、恥ずかしそうに葉を閉じていく様を楽しんだり、私の母も育てていたアイビーが窓の下に生い茂っているのを関心したりしていました。
あの時飼っていた猫ちゃん、あまり懐いてくれなくてちょっと悲しかったです。でも他の人にもそんなに懐いていなかったから、きっと一人が好きだったんでしょうね。
その猫ちゃんを見る回数が減るにつれ、私たちは学年を登ってゆきました。4年生のころだったでしょうか。毎年バレンタインの日に家に来てチョコを持ってきてくれていたのに、その年は下校する時に「義理チョコだから」と念を押し、茶色の小包に入ったチョコを渡して貴方はそのまま帰ってしまった。
それから貴方とは少し距離を感じるようになってしまいました。私は何かしてしまったのかと考えていました。心当たりはありました。でもそれは何年も経ってから気づいたことでした。

 中学と高校も同じでしたが、話すことはほとんどありませんでしたね。一緒に登下校することも貴方の家に遊びに行くこともありませんでした。それぞれの時間を、それぞれが過ごしていました。それは、ごく自然なことで当たり前です。
しかし、私にとってそれは寂しく辛いことで、当たり前だと思いたくないことでした。花倉との距離が遠くなるほど、心の穴は広がってゆきました。また貴方と一緒に登下校したり、時間を忘れるほどくだらない話で盛り上がっていたかったと、常々思っていました。
花倉は、どう思っていたのでしょうか。

 高校卒業後、私はゲーム系の専門学校へ、貴方は地元の大学へ入学しましたね。花倉の結婚相手はこの大学で出会ったそうじゃないですか。なんでも、同じサークルだったとか。スキーでしたっけ?花倉は毎冬スキーを白馬村で楽しんでいましたよね。
私も一度だけ一緒に行きましたが、スポーツはてんでダメで花倉に教えてもらいながら初心者用のコースを滑っていました。本当はもっとレベルの高いコースを気持ちよく滑りたかっただろうに、私なんかに付き添ってくれてありがとう。それっきりついていかなかったのは、私がいると花倉が楽しめないと思ったからです。でも私は一緒に遊べて楽しかったですよ。本当です。
花倉はうまく大学生活を送れたと思いますが、私はうまくいきませんでした。ゲームを作りたいと思って入学したのに、卒業するころにはゲームを遊ぶことすらしなくなるほど興味が薄れていました。私は無職となり新卒チケットを捨てました。

 それからコンビニバイトを始めたのは2年後でした。それまでは精神科に通っているような状態でした。親に高い学費を払ってもらっても何も得られず、さらにスネをかじって迷惑をかけてしまったこと、世間から白い目で見られること、一般的なレールの上にすら立てない無能な自分に絶望しました。何もやる気が湧かず全てどうでもよくなっていました。生きる意味も目的もありはしなかった。
死にたかったけど、それでも生きていた。それは、貴方が希望を与えてくれていたから。私は思い出にすがっていました。色褪せることのない紛れもなく純粋な思い出。それがあったから、私は生きることができました。
しかし、生きたくもなければ死にたくもない、生ける屍だったことに変わりありませんでした。

 そんな私へ、深夜に突然「お話しよーよ!」と貴方からLINEが送られてきた時は驚きました。高校を卒業してから一度も連絡をとっていませんでしたから。久しぶりの通話は凄く緊張してしまって、よそよそしかったと思います。
その時に数年ぶりに会う約束をしましたね。「どんなふうに変わったかな」「今なにしているんだろうな」と再開の瞬間を想像していました。きちんと身なりを整えたりもしました。まるで遠足前日の子供のようでした。

 想像以上に大人へと成長していた貴方は、つるんとした黒髪とキラリと輝く白銀のイヤリング、ベージュのワンピースに白のブランドバッグを手さげてふわりと待ち合わせのカフェへ入ってきました。昔の面影を残したまま大人の魅力溢れるオーラと可憐さをあわせ持っていました。こんなことを言うと気持ち悪いかもしれませんが、私が心から思ったことなのです。
それから色々話しましたね。大学のサークルが楽しかったこと、学内表彰されたこと、就活がスムーズにいって地元の有名企業へ入社できて今も働いていること。私の存在などひとかけらもないギラギラとした人生を歩んでいたようですね。私のことを話すなんて恥ずかしくてできやしなかった。
「結婚する」という話もその時してくれましたね。

 結婚の話をされた後、しばらく黙っていたのは驚きと喜びと悲しみと憎しみが濁流となって押し寄せてきたのを抑えることに必死だったからです。そして、この場で最も適切であろう感情を取り出して「おめでとう。」と言いました。
花倉はどうして私が「悲しみ」「憎しみ」などといった負の感情を持ったかわかりますか?それは私が醜い怪物だからです。

 私は花倉が好きです。昔からずっと、相も変わらず私は貴方が好きです。こんな私にも貴方は優しくしてくれました。貴方のそばにいると、胸が軽くなりどこか楽しいところへ飛んでいきそうな心地でした。辛く苦しい時でも貴方との思い出を呼び起こすと楽になれました。ずっと一緒にいれたらどんなに幸せだろうと想像していました。
好きでも干渉することは控えていました。私と接することを貴方があまり望んでいないのはわかっていたから。そうでなかったらもっと連絡してくれていたはずでしょう。
花倉には花倉の人生がある。私はそれを侵さないようにしていた。貴方を想って何もしなかったのです。

 私はずっと貴方を想っていました。それなのに、花倉は私の知らないところで恋をして結婚までしました。私は裏切られたと思った。一方的で身勝手なのは理解しているつもりです。だけど憎らしかった。花倉を私のものにしたかったのに。
他の男と仲良くしているところを想像しただけでもめまいがするのに、この始末。耐えられない。貴方と手を取り合い共に人生を歩むパートナーが私であればとどれだけ願ったことか。もう叶わないことですが、それでも願いました。ひたすら祈りました。

 私を選ばなかった理由は容易く想像できました。私は昔から一方的だったから。貴方の好きな食べ物、好きな曲、抱えている悩み、追っている夢。どれも知りません。貴方のことを想っているようで、自分に都合のいいことばかり考えて、真に想ってはいなかったのです。そんな人間、選ぶはずもないですよね。ごめんなさい。

 私が死んだのは貴方のせいじゃない。たしかに、私の気持ちを裏切った貴方を憎んでいるし、思い出を穢したのも貴方だ。だけど私が死んだのは、これ以上貴方に干渉しないため。このままだと、怪物として貴方のはらわたを喰い破り頭部を寝室に飾りましょう。強欲で滑稽で愚かな怪物を仕留めるには、こうするしかなかった。いいんです、もとより死ぬつもりでしたから。貴方のせいじゃない。

 この手紙は貴方の好きなようにしてください。ビリビリに裂いても燃やしてもらっても構いません。だけど、私のことは忘れないでください。
さようなら。どうかお幸せに。

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