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やっぱり何も持ってなかった

先日、企業説明会がちょっとうまくいったからって自信がつき元気になってしまったが、もう元に戻り始めている。説明会を乗り越えたからと言って、話聞くだけなので自分のアピールポイントにならない。なぜ自信が湧いてきたのか…。

その企業は食に関わる様々な事業を展開しており、スーパーの運営を主としている。過去にスーパーでアルバイトをしていた経験があり、仕事がイメージしやすい事と食べるのが好きだからという理由で、入社試験受けようかなと思ってる。志望動機はこれをベースに書けばいいのだが、如何せん自己PR、ガクチカがない。適当に生きてきたせいで何もない。
自己PRの作り方とか他の人の自信と活力溢れた文章を見ていると、いかに自分が空っぽで劣っているのか思い知らされる。なんとかしようと足掻けば足搔くほど自分の首を絞めているようで苦しい。

これといって学業や部活を頑張ってきたわけでもないし、リーダー的な役割を担ったこともなく、学生Cというモブみたいな学校生活を送ってきた。学校外で活動したと言えば、そのアルバイトを数か月やったくらいでボーっとゲームばかりしてきた。時間を惜しんで学業やアルバイトなど、ゲーム以外で何かに勤しむことはなかった(そのゲームが就活に活きることはなくなった)。ネットが好きでも、Twitterで面白いことをツイートしたり、YouTuberみたいなことをして人を集めることもない。ルックスが良いわけでもなく、人々を魅了するような声を持ってもいない。だから得意なことはTwitterでボヤキ続けることくらいで、企業に胸を張って言えるようなことはない。

今からやればいい?いいや、就活はもう始まっているんだ。今から自分を磨いたとしてどうにかなるとは思えない。そもそも何も努力してこなかった人間が、パッと何かに打ち込めるはずがない。努力が何か、何をすれば努力していることになるのか分からない。続けることが努力というなら、今僕は物凄く努力して生きている。でもみんなやっているから凄くないのか?努力していることにはならないのか?

僕をくだらないことを言っていると、バカなことを考えていると嘲笑の的にするのは結構。僕は何も持ち合わせていないし、逃げてばかりで自分を高めるチャンスをいくつも逃しているし作ろうともしていない。辛うじてそれを掴んだとしてもすぐに放してしまう。もう本当にどうしようもない人間。バカにされて然るべきである。どうしてこんな奴に育ってしまったのか。家族に申し訳なくて顔も見せれない。ごめんなさい。

僕より悩んでいるのに誰にも相談できなくて、苦しくて辛い状態の人は大勢いるのに、自分だけ空っぽの中身を曝け出してしまっていいのだろうか。日常生活に支障が出るほど悩んでいる人もいるのに、時間を浪費してだらだらと過ごし酒ばかり飲んでしまっていいのだろうか。
きっとよくない。こんなことをしている時間はないはずだし、資格もない。生きることに資格は要らないが、深い幸せを得るには必要で、何かしら成し遂げて資格を持たねばならないのだ。何もしない人間はそのチャンスは生まれない。だから僕はnoteを書いている。淡い期待と息が詰まるような絶望を持って。

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