シングルカット時代に考える、アルバムの意味【音楽】
世は、シングルカット時代。
どのアーティストも、シングルを連発して出している。
一曲ずつ配信した方が都合が良いからだ。
そうした方が良い理由は、単純に「数」が増えるから。
なんの数って、いろいろだよ。
↑シングルカットの詳しい話は、ビトク大先生が実績と共に書いてくれています。ホンマ、助かってます。気になる人は是非、購読してください。
さて、そんなシングルカット時代にこそ
アルバムという「作品」について語りたい。
現代におけるアルバムの立ち位置
この時代において、アルバムとは「シングルの寄せ集め」に過ぎない。
一曲ずつ、ちまちまと配信し続けたシングル達を、どこかの節目でアルバムにまとめる。もうこの際、アルバムにしなくてもいいじゃん。
メジャーなアーティストであればある程、この傾向が強い。
なんたって、出す曲のほとんどに企業とのタイアップが付いているからだ。(普通に凄い)
曲の為のタイアップか、
タイアップの為の曲か。そこは不明。
どちらにしろ「アルバムの為」の曲では無い。
それが良い悪いという話は関係なく、
ただ事実として「シングルの寄せ集め」になっている。
アルバムとは何なのか
しかし、本来のアルバムとは違う。
アルバムってのは、言うなれば「連続ドラマ」。
一貫したテーマに沿って、右往左往していく。
ときに激しく、ときに優しく。
前半で伏線を張り巡らせ、後半にドッと回収する。
最初から最後まで聴くことで完結する「作品」なのだ。
「連続ドラマ」なんだから、三曲目(即ち三話目)だけ聴いても、ストーリーは掴めない。
二曲スキップしてしまったら、もっと意味がわからなくなる。
これが、本来のアルバムだ。
勿論、一曲単体で聴いたって問題は無い。
楽しみ方は人それぞれで良い。
あくまでも「セオリー」は、こうだよって話。
アルバムの楽しみ方
アルバムが、我々リスナーに与えてくれるのは「カタルシス」だ。
一曲目に「問題」が立ち塞がる。
越えようとする道中も「困難」が押し寄せてくる。
そして最後の曲で「解答」を編み出す。
一連の流れを踏んだ後の「達成感」というカタルシスが最高に堪らないのだ。
これが、アルバムの楽しみ方である。
「シングルの寄せ集め」では、こうはならない。
一貫したテーマがあったとしても、連続性に欠けている。
「短編ドラマ集」みたいなもんだ。
感じられるカタルシスは、大いに少ない(言葉遊び)。
アルバムは必要とされていない
そもそも今の時代、この「カタルシス」は必要とされていない。
これは「切り抜き文化」が象徴している。
映画やドラマの中から、気に入られたシーンだけが
たった30秒だけ切り抜かれ、世間へと横行している。まるでシングルカット。
本来であるならば、ちゃんと最初から見てこそ生まれる感動シーンのはずなのに。
そこだけ切り取られ、補足として、あらすじなどの駄文説明文が足されて終わり。
ましてや、それで満足してしまうのが現代人だ。
つまり、現代人は「過程」をすっ飛ばして
「結果」だけを求めているのだ。キングクリムゾン。
カタルシスを感じる為には、「過程」が必要不可欠。
でも、そもそも「過程」なんかいらない。
パッと見て「結果」が分かれば、満足する。
そんな時代に
別にもう、それでも構わない。
切り抜き文化を否定したって、もう手遅れ。
ただの一般市民には、どうすることもできない。
まあ、本当は否定したいんだが、果てしなく長くなるので割愛。
筆者の思想がダダ漏れの、壮大なnoteになってしまう。
構わないが、しかし。
アルバムという「作品」も愛してやって欲しい。
アルバムの「楽しみ方」を知って欲しい。
たまには、長ーい時間かけて、ゆっくり、カタルシスを感じて欲しいのだ。
このnoteを読んで、『ちょっとアルバム聴いてみようかしら。』
と感じてくれた、そこのあなた。
是非、聴いていただきたい作品がある。
そう、このnoteは、紛れもなく「宣伝」である。
この度、僕の音楽活動【social talk】より、1st EPが配信された。
三曲入りという軽めのボリュームながら、バラエティに飛びまくり。
ポップチューンなロックから、ゴリゴリのハードコアまで。
何より、今までの文脈を体現した「ちゃんとした」アルバムになっている。ちゃーんと、カタルシス感じれます。
この機会に、是非!聴いてください!
冗談みたいなnoteになってしまった。
たまたま、執筆時期と配信時期が被っただけだから、許してください、、、。
とはいえ、ここまで読んでくださっている人とは、きっとセンスが合ってる。
後悔させませんから、是非、聴いてね。
なんでもかんでも無料で見れると思うなよ!!! サポートしてください!!!