許容できる大変なこと。

地元の高校の総合学習で、インタビューを受けた。昨年の授業で登壇させてもらったおかげか、まちづくりや地域おこしに取り組む人として選んでもらえた格好である。3年生の男女5人が事務所に来てくれた中で、とある生徒が尋ねる。

「地域おこし協力隊として、大変なことややりがいはなんですか」

まず、「やりがい」はすぐに答えられた。自分を通して、地域の人がつながりを持ってくれること。最近では焚き火やワークショップを企画することで、すなわち僕自身が「場」をつくることで、これまで自分が知り合ってきた方々が集まり、そこで新たな縁が生まれている。活動や出会いを重ねてきたからこその“アシスト”であり、地域を舞台にしたまた新たな可能性を感じられているのだ。


一方で「大変なこと」の答えには悩んでいた。別に大変なことが全くない、ということではない。いわば“許容できる大変なこと”であるから、その言い回しにすこし迷っていたのだ。

自分が活動している宮城県美里町は、昨年度から協力隊の制度を採用しており、僕たちが“1期生”である。だから率直に言えば先輩がいないこと、前例がないことが大変なことであると言える。自分たちもそうだし、行政や地域の人にとっても、今でこそ落ち着いてきたものの仕事のあり方や進め方は手探りの部分が多かった。

ただ、僕はそれも覚悟して協力隊としてUターンした。むしろ前例がないからこそ自分がそれをつくれるのではないかと、ポジティブな思いさえ抱いていた。実際たしかに大変ではあるが、それもそれで前向きに取り組めている。ということを、高校生たちには伝えた。


そして気づけば僕は「結局、大変じゃないことなんてないんだよね」と話していた。「あ、ごめんごめん、大人がよく言うつまんない話になっちゃうね(笑) ちがうちがう」と続け、その真意を彼らに伝えた。

すなわち、何かを目指せばリスクが伴うのは当然のことである。表裏一体。それが世のことわり。そしてその大変なことは、乗り越えることで充実感を得られるものであると良い。ただ大変さにかまける後ろ向きな生き方よりも、それこそやりがいにつながるような取り組みが望ましい。もし大変なことを感じていなければ、その環境が味気ないか、自身の志が高くないかだと思っていて。たとえば自分の理想を追いかければ何かしらの障壁があるのは当然で、それでも手にしたいリターンを感じられるものに、時間や労力を投じてほしいわけである。


水とコーラがあるとして。水に比べてコーラには味にクセがあるけれど、そのぶんこの世には大好きな人がいる。そして、おそらく大嫌いな人もいるだろう。すべては得られない。何かを得ようと思えば、何かを失う可能性がある。逆に言えば何かを失う可能性がなければ、何にも得られない。だからこそ若者たちには、自分が許容できる大変なことに挑んでほしいなと、そんな勝手なことを思ったのである。

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