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嘘はなく、可愛げもなく。

思ってもないことを口にしたくない。たとえば自分の何気ない言動に対して、他人ひとから思いも寄らないかたちで怒りと共に捲し立てられたとき、僕はその言い分をしっかり聞こうと努める。とある知人はこういった場合、まずは即座に「すみません」と謝るのだそうが、僕は相手と向き合った上で自分に過失があるのか、すなわち謝るかどうかを定めたい。

たとえ相手が歳上だろうが、基本的には関係ないと思っている。これまで地域で前述のようなシーンが何度かあったけれども、一歩も引かない自分に気がついた。否があったと感じた場合は謝るが、我ながらとても太々ふてぶてしく、まったく可愛げのない態度を取っていると思う。

どうも抵抗があるのだ。たしかに黙って謝ることができれば、その場は丸く収まるのかもしれない。しかし、あくまで自分が納得する言葉を発したい。誰より自分自身がその嘘を許さない。そして、僕はどうやら他人が機嫌を損ねることに対して、あまり自分がわるいと思っていないようである。「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」という、あまりにも有名なニーチェの言葉にイメージは近い。コミュニティで気づかいができない人間だとは思わないけれども、誰かの解釈を、僕はコントロールできないと信じている。

とはいえ、即座に謝れる知人のことを思えば、きっと「あなたをわるい気にさせたこと」に悪気を覚えている気がしてきた。自分の言動の正当性はさておき、それこそまずは他人の解釈に寄り添っているのだろう。そう考えれば、謝れない僕の人間としての未熟さを感じざるを得ない。なんだか溜め息が漏れてきて、反省する夜である。

いつもいつもありがとうございます〜。