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司会者とファシリテーター。

地域で行うワークショップの打ち合わせへ、とあるファシリテーターのもとを訪ねたときのこと。そのねらいや流れを確かめる会話の中で、彼女が「やっぱり『司会』とは違うんですよね」と何気なく話した。そこまで際立った話題ではなかったものの、僕のこの界隈にいる端くれとして、とても分かるような気がした。

司会者とファシリテーター。いずれも「場」を仕切り、進めることは共通だろう。では何が差になるのかというと、僕は「観察」があるかどうかだと思う。

たとえば司会者は、事前に定めたプログラムをアナウンスするイメージ。基本的にその存在は揺るぎなく、あえていえば一方的に参加者へアナウンスして、場を進めていく。一方でファシリテーターは、参加者の言葉に耳を傾け、表情や態度にも目を配り、そのタイミングに応じて話を回していく。すなわち、双方的な場のあり方をめざすイメージである。ファシリテーター自身にも含めた、そこに集まった人の雰囲気やあり方に、場を“委ねる”のだと思っている。

言い換えれば、ファシリテーターに必要とされる傾聴力や観察力は、司会者には不要である。言うまでもなく、どちらがよいわるいという話ではない。それぞれにはそれぞれの特徴があり、すなわち向いている人と向いていない人がいる。そんな中でふだんからの生き方として、多様性を認めて対話を重視する僕は、ファシリテーターの特徴と価値を信じていたいと思う。

いつもいつもありがとうございます〜。