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「やりたい」以上に大切なこと。

もし、いま自分が就職活動を控える学生だったならば、どのような世界が見えるだろう。歩むべき道を、見据えるべき景色を、どのように定めるのだろう。

大学時代の就活を振り返ると僕は、まるで何もわかっちゃいなかった。会社や社会、さらには自分自身のことまで。いや厳密にはすっかりわかった気になっていて、当時22歳の僕は僕なりの正義を、精一杯生きていたのではないかと思う。そう解釈して、かつての自分を可愛がってやりたい。

とにかく「書く」仕事がしたいと、コピーライターになるのだと、やりたいことだけはあった。何ならほんとうにそれしかなく、自分が取り組む理念や実現したい社会などは、さらさら皆無。就活において、それらがあればよいのだと言い切るつもりはないけれど、エントリーシートや面接ではその「空虚」を隠し切れるはずもなかった。隠さなければならないという意識すらないまま、噛み合わないコミュニケーションで難なく不採用をいただいた。

それでもなんとか就職して、自分本位で生き続けた20代。その終盤に差し掛かってようやく、自分と社会が重なるところを見つけられた。それが地元のまちづくりに関わることであり、地域おこし協力隊としてのUターンだった。

ヒントとなったのは「違和感」である。「問い」といってもいいのかもしれない。地域がさまざまな施作や発信を見せ始めていた中で、僕の地元のそれはとても乏しいものだった。そもそもの活動が見えず、疑問を覚えるのすら苦労した。ただ、だからこそ自分なりのコミュニケーションを考えられたし、自分が担うべき役割を見出せたのだと思う。「やりたいこと」というよりも、それまでの時間や価値観が重なったことで生まれた「違和感」が、僕を地域へと導いてくれた。

自分の中に、積極的に生み出したものよりも、どうしても生まれてしまうもの。そんな表現でもしっくりくるのかもしれない。それこそ自分が向き合うべき課題であり、ひょっとしたら社会の中での役割や居場所になってくれるのではないかと、いまの僕はそう思えている。

いつもいつもありがとうございます〜。