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適量の自意識。

いつものようにTVerで『アメトーーク!』を見ていた。今回は「後輩との接し方が分からない芸人」。後輩に慕われ、ときにいじられるような、そんなコミュニケーションを理想とする芸人さんたちが、決して“そうではない”現状を嘆いていた。もちろん、あくまでエンターテイメントとして。

彼らが接し方を分からない要因のひとつとして、気にしすぎることが影響していると思った。まあそこまで真面目に視聴するのはナンセンスなのかもしれないけれども、彼らは自分の言動や存在が後輩に気を遣わせているのではないかと、やたら気にしているように見えた。あるいは自身の後輩としての経験も交えながら、本心で接してもらえているのか分からないのだ、と。

そんなネガティブな言い振りをMC側で見ていたケンドーコバヤシさんは、見かねた様子で「そこまで(世界は)自分中心ちゃうで?』と言い放った。番組としてはさらりと流れた言葉だったが、個人的にはつよく心に焼きついた。そうだそうだ、僕もそう思うぞと、本質的な熱さを感じたのだ。

今回ひな壇に並んだ芸人さんたちは、自らの一挙手一投足が、後輩たちによくない影響を及ぼすのではないかと考えていたはずだ。自覚は薄いだろうが自分の存在や価値を信じていて、ある意味で自信があるのだと思える。だからこそ社会の中にある自分を丁寧に扱い、コミュニケーションがぎこちなくなっているのではないかと思う。

自分中心で生きることを、僕は決してわるいことだとは思わない。むしろしっかり自己表現をしてオリジナルの人生を歩むことにつながるような、そんなパワーを秘める感覚でもあるだろう。ただ、それが自意識過剰に働いては仕方ない。きっと誰かがどうこう言ったところで即座に変化できる感覚でもなく、僕はそんな人を仕方ないなあと見守ることしかできない。新たな扉を開くカギは、“適量の自意識”か、はたまた吹っ切れるほどの“自意識ゼロ”か。いやいやまた違った感覚か、そもそも扉を開く必要すらないのか。ケンコバさんの一言で、思いを巡らせる自分が現れたのだった。

いつもいつもありがとうございます〜。