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柔らかでしなやかな視野を。

「大村さんは苦手な人とかいるんですか?」

地域おこし協力隊になってから、たまにそんなことを訊かれる。聞くところによると、(最近すこし大人になって丸くなったからか)あまり苦手な人がいないように見えるようだ。その実際のところは、ふつうに、いる。ただ、僕は苦手になると態度に出てしまうから、それが向こうにも伝わって結局だんだんとお互いに交わらなくなる。思えば学生時代から、ずっとそんな生き方である。

とはいえ、最近また苦手な人を問われた際に、あえて言語化してみることにした。すると「視野が堅い人」なのではないかと思えている。

ものごとを考える上で、別に視野の“狭い・広い”や方向性は構わない。そりゃあ人によって、そのエリアや角度には差があって然るべきである。しかし、たとえば自分とは違う視野を持つ人と対峙したとき、それをグググッと広げたり回したりできる、そんなふうに柔らかでしなやかな視野を持つ人が個人的には好きである。たとえ自分とは違っても「なるほどそういう考え方もあるのか」あるいは「まあいいんじゃない」と、受容までいかずとも意見を区別できるような感覚だ。

僕が苦手なのはその反対のイメージで「その考え方はおかしい」「俺のやり方が正しい」などと、自身の視野に固執するような人である。もちろん、その人なりの価値観や正義があることは否定しないし、むしろ素晴らしいことだとは思う。しかしながら、それを誰かを打ち負かす“武器”にしてしまうことに、僕は少し寂しさを覚える。対峙すると、なんだかコミュニケーションが窮屈に感じられるのだ。だから視野が堅い人が苦手であって、すなわち僕はできるだけ柔らかでしなやかな視野を持っていたいと思うのである。

いつもいつもありがとうございます〜。