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自分自身の内と外。

この社会には「好きなことは仕事にしてはいけない」というひとつの言い伝えがある。きのう、ふとした会話の中から久しぶりに耳にした。ただ、果たしてそうなのかと、本質はそこなのかと、懐疑的な視点を持つ自分がいる。これまで新卒で入った会社の退職、上京からの転職、フリーランスへの転身、そして地域おこし協力隊としてのUターンと、それなりに社会を“漂流”してきたものとして考えてみたい。

まず「してはいけない」の理由は、エラーが起きるからだろう。その人が取り組みたいことと会社(あるいは社会)が求めるものにギャップが生まれ、お互いに無理なコミュニケーションを強いられる。すると、なんだか生活が窮屈なものに感じられる。別に長く会社に居続けることが正義だと言うつもりはなく、好きなことを仕事にすると、シンプルにエラーが起きる可能性が高まるという話である。少なくとも、僕はこの解釈である。

では、なぜ好きなことを仕事にするとエラーが生じる(可能性が高まる)のか。対話が足りていないから、なのではないかと思う。ここでは、キーワードとして「自分の内と外」を挙げてみたい。文字通り自分自身の「内側」と「外側」のイメージであり、そこをしっかり区別して、そして内側を重視することが大切なのではないかと思うのだ。

たとえば内側は、自分自身の価値観や感覚、性質、生き方などとする。人や社会を見る視点、これまでのコミュニティで担ってきた役割、自分が得意なこと。一方で外側は、それまで築いてきた人間関係、時間を過ごした環境、自分の好きなもの・こと。関係性はありつつも、あくまでその人以外を指すイメージである。

前提として僕は、それぞれの人がなるべくナチュラルな感覚や役割を持って生きられることを正義としていて、それはすなわち「内側に沿った生き方」である。何をやるかというよりも、自分の価値観や性質に合った役割に社会とのマッチングがあり、やがてエラーのない世界へと繋がるだろう。ただ単純に好きなことを仕事にするというのは、「外側に沿った生き方」だと思える。実際に僕自身も、ただ言葉が好きだからコピーライターを志して転身も経験してみたが、厳密には“自分の言葉”を書けることが一番の価値だったのかもしれない。結果としてコピーを書くことにも面白さを感じられているが、ちいさなエラーを感じた過去である。

別に好きなことを仕事しちゃいけないとは思わない。というか、その言葉だけが独り歩きすることには違和感があって、大切なのは自分の内側と外側を区別することなのだと思う。その上で僕個人としては、内側に沿った生き方が正義であると信じていたいのである。

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