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遠くの事象、近くの問題。

きのう、富士山の撮影スポットに黒い幕を張ったというニュースを見た。海外のインフルエンサーの影響によって訪日客で混み合うようになり、危険な道路の横断やごみのポイ捨てなどマナーに欠ける行為が目に余るようになったという。地元住民からの相次ぐ苦情を受けた山梨県富士河口湖町は、観光客が撮影をできなくするため、長さ20メートル高さ2.5メートルの大きな幕を歩道と車道の間に立てた。

じつに行政らしい対応であり、じつに日本らしい事象である。外野から見ていれば、円安を追い風に多くの人が訪れる“チャンス”だとも捉えられる気がしてしまう。それだけ人を引き寄せる富士山という圧倒的なコンテンツが、率直にとてもうらやましい。もちろんポジティブにはネガティブが付きまとう、そんな表裏一体な世のことわりも理解しているつもりだ。

だからこそ、もう少し器用な選択肢はなかったのかと、いち個人として疑問に思う。たとえば幕を張らずとも、より広い敷地にテーブルやいすを設置して、キッチンカーや屋台も呼んで新たな撮影スポットとして人を誘導する、とか。ポイ捨てがあるならば清掃のため新たな雇用を生み出す、とか。美しい富士山という観光コンテンツはそのまま活かしながら、じょうずに人を招き入れる対応ができないものかと考えてしまう。

とはいえ、ここまで2年間地域おこし協力隊として、自分が行政の立場に立って活動してきた今なら、そんなことは見果てぬ夢だとも理解できる。とりあえず行政に対して「なんとかしろよ」と、ネガティブな意見を寄せる他力本願な住民の存在。向かい風を追い風に変えるような、いわゆるクリエイティブが不足する公務員。いや、もっと言えば彼らには、住民と観光客のバランスを探る「対話」をするような余裕はないのかもしれない。時間的にも精神的にも、技術的にも、人間的にも。

行政のクリエイティビティか、住民ひとりひとりの主体性か、全体的にそもそも対話が不足した日本の現代社会か。いったいどこを課題と考えるべきだろう。今回の黒い幕の件は、自分にとって遠くで起きた事象だったことは確かだが、すぐ近所でも見られるようなとても親近感を覚える問題だと感じている。

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