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「書かない」ができない。

さっきまで書きたいと思っていた別の内容が、上手くまとまらなかった。きょうを通じて感じたこと、考えたこと。心や脳裏には割とくっきりとした輪郭を帯びていた気がするのだが、そいつを掴んで文章にしようとすると、砂のようにボロボロと崩れていく。上手な喩えも浮かばなければ、順序よく論理を展開することもままならなかった。その内容を書くことは、断念することにした。

じゃあいよいよ、自分から「きょうは書かなくていいや」という選択肢を取ることも考えた。つい先日、900日以上続いた“連続更新記録”が途絶えて、個人的な「書く」との距離感や関係性も変化していた。書けないときは、無理をして書かないこと。それを実践する余裕が、自分にも芽生え始めているのではないかと、期待していた。

ただ、結局きょうもnoteを更新している。今の僕には、まだ「あえて書かない」ができなかった。なんというか、「書けないからやめておこう」と“負け”を認めたくないのだと思う。簡単に書けない状況を、いかに覆していくのか。それこそがライターの宿命であり、あるいは「書く」を愛するものが挑むべき壁ではないのか。まだまだ未熟な僕は、そう感じてしまうようだ。

とはいえ、たとえばライターとして円熟味を増したら、平気で「書かない」という選択肢を取れるものなのだろうか。きょうも、憧れのあの書き手がエッセイの更新を続けているなか、僕は更新を断念できるのだろうか。甚だ疑問でしかないけれども、まずはnoteの更新を続けながら「書く」との距離感を探り続けていたいと思う。


いつもいつもありがとうございます〜。