見出し画像

「自分の言葉」を使う意味。

就職活動に取り組んでいた大学時代、「できるだけ自分の言葉で表現するように」と大人の誰かが言っていた。志望動機や自己PRなどに取り掛かる上でのアドバイスである。しかし当時の僕は、その言葉の大きさを特に感じたり考えたりすることはなかった。そもそもそれどころではなく、すなわちどうすればしっかり真っ当に見てもらえるのか不安で仕方なく、本やWeb検索ですぐに手に入る「良い例」を参考にエントリーシートを埋めていたと思う。

「自分の言葉」の反対は「他人の言葉」、つまり「受け売りの言葉」である。まさに大学時代の僕が利用していたような、すでに誰かが作り上げた“既存の表現”。とはいえ、それがまったくもって良くないことなんだと、一概に主張するつもりはない。過去の自分のように、価値を感じる人も少なくないと想像するからだ。

ただ、受け売りの言葉だと何が起きるか。本質が見えないのだ。その人自身が、本当に大切にしている部分。どんな経験を積み重ねてきて、どんな社会やできごとと直面して、どんな価値観を抱いているのか。それを表現することは、情報の受け手へ共感や差異を含めた「関係性」を生み出してくれるだろう。もはや就活に限らず、社会人になってからの仕事やプライベートなど、さまざまな自己表現および相互理解の場面で必要とされるものだと思える。

それが物足りないと、どうしても薄っぺらな人間に感じられてしまう。いわゆる深みがなく、話がその場で失速していく。就活が上手くいかなかった自分は、間違いなくここが欠落していたのだ。心当たりはある。しかしながら、反省はない。もうしょうがない。せっかくだから、時が経っていま気がつけた自分に価値を覚えたい。

「自分の言葉で表現する」とは、自分の本質を表現するということ。この意味をまずは過去の僕に、そしてこれからの僕にも向けて、ここに記しておきたい。

いつもいつもありがとうございます〜。