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SNSのスピード感。

話が早く進むよなあと思う。たとえば僕と、僕のSNSを見てくれている人が会話をしたときの話だ。

別に毎日顔を合わせていなくても、あるいはメッセージツールで綿密なやりとりをしてなくても、「こないだTwitterであんなこと言ってたよね」「Instagram見てると休日もいろんな地域に足を運んでるんだね」などと、リアルで再会したときにも話が進んでいたりする。いきなり“その続き”から会話が始まるのだ。まずは僕のSNSをチェックしてくれていることに敬意と感謝を表したいのだが、僕も普段から誰かのSNSをチェックしている。個人的には、とても効率的で好感が持てる。もともとSNSでの自己表現が好き、ということも影響している。

SNSが普及してからはあまりにも当たり前すぎた感覚。しかし、ここ最近、この何気なくて心地いいテンポが特別なものだとも気づかされた。地域のシニア世代と再会を果たしたときのことだ。

「僕はまだイマイチ大村さんが普段から何を考えているのかが分からない」「大村さんはもっと他の地域を見に行ったほうがいいよ」というようなことを言われたのだ。僕は敬意と親しみを込めて、あくまで穏やかに「なるほどね」「たしかにね」などと相槌を打っていたのだが、いずれも僕はSNSで表現できていると思っていた。というか、そうしているつもりだ。ただ、それがいわば非日常的な人にとっては、口頭での説明や他の媒体での発信がないと、そもそも届かないのである。僕の活動や情報が。

僕を主語にしてSNSを当たり前とするならば、コミュニケーションが遅く感じられる。SNSがある世界と比べれば、非効率的だと表現せざるを得ない。ただ、こちら側を正義とせず、つまり向こう側を悪とせず、柔軟なコミュニケーションを心がけたい。これから地域で生きていくならば、なおさら考えるべきことではないかと思うのである。

いつもいつもありがとうございます〜。