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あきらめる、あきらめない。

あきらめられることは、自分の長所であると認識している。自分にも他人にも、そして世の中にも期待しないこと。できない自分を、苦手な誰かを認めるというか、あきらめること。それらを踏まえて、割とスパッと新たな道を選べるのが良さだと自負している。いや、僕自身が生きやすいだけだろうか。

あきらめられないことについても、すこし考えてみる。それはたとえば、できない自分を認められず、できるようになるまで努力すること。あるいは誰かの苦手な部分と向き合い、しっかり対話をして、互いの妥協点や変われる部分を見つけること。もちろん良い時間ばかりでなく、むしろ苦しい時間の方が多いのもしれないけれども、逆境を乗り越えるという部分がそれなりに立派な生き方にも感じられる。

ふと、とあるコミュニケーションがきっかけで、あきらめられる自分が嫌になった。そのときも僕は、居酒屋で出会いそれまで楽しく話していた他人との関係性に、ちょっとした一言がきっかけでいとも簡単に匙を投げた。互いに酔っていたこともあり致命傷にはならなかったものの、一夜明けた今もなんだか、僕の記憶に刻まれている。あのときの自分はあまりよくなかったのではないかと、自分自身に納得できていない。

とはいえ、あの「ちょっとした一言」に向き合える自分はいなくて、当然この先で出会えるかも定かではない。そして変化に怯える自分はいて、次第にぐるりと回って【あきらめることを、あきらめられないこと】に気がついた。変化への怠惰、現状への執着。自己愛、自己嫌悪。自分の中の“うごめき”を感じざるを得ない夜である。

いつもいつもありがとうございます〜。