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人がぐるりと変わるには。

コロナ禍になって、リモートワークという働き方が広まった。物理的な人との接触を避けるべく、一時は推奨どころか義務にもなっていたように思う。急激に訪れた世界の変化に多くの人が戸惑いを抱く中で、わずかにもたらされた光明だった。オンラインでの取り組みが一般的となったおかげで、結果として僕は東京のアパートから移住イベントに参加できて、地域おこし協力隊としてのUターンに至っている。

つくづく、人はどこまで変われるのだろうかと考える。それこそ地域で生きる中で、僕は自分自身の活動や事業を徐々に広められているけれども、どれもすんなり受け入れてもらえたわけではない。地域というフィールドには、そこに根を張り生活している人々がいて、当然さまざまな価値観や感情が混在している。そしてその中には、自らが生きてきた時代や事例に固執して、変わることに抵抗感を抱く大人が少なくない。

すなわち、たとえば協力隊のような新参者が見せる活動には、難色を示されるものだと考えておいた方が、さまざまなリスクを回避できるだろう。あくまでこれは地域をわるく言いたいわけではなく、個人的にそう思えるという話である。いや、思えば変わらないのは地域で生きる大人だけではないのかもしれない。「多様性」という言葉が生まれて久しい中で、ちょっとSNSを見れば、大人も子どもも自らの感覚を押し付け合い、傷つけ合っている。

人は、そう簡単には変われない。諦めのような感覚を抱く中で、ふとコロナ禍での変化を、つまりリモートワークの広がりを思い出した。なぜあそこまで人は、ひいては社会はぐるりと変われたのだろう。

キーワードは「文化」なのかもしれない。たとえば人を変えたいと思ったら、“文化ごと”変えてしまうこと。その昔、トースターを発明したエジソンは、朝にパンを焼いて食べる「朝食」の文化を提唱して、自らの発明を売り出したという。可能か不可能かはさておき、きっと人を変えるにはそれほどのパワーが必要で、その影響力の大きさを窺える。人が変わって文化が変わるか、文化が変わって人が変わるか、ニワトリとタマゴのような関係性でもある気がしてきたが、地域で活動している今の僕は後者のパターンがしっくりきている。

いつもいつもありがとうございます〜。